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愛知・名古屋と8/22誕生者

Black Swan

2026/08/22 (Sat) 23:14:50

今年は私の住む愛知県が開幕まであと1ヶ月を切った第20回アジア競技大会(アジア大会愛知・名古屋2026)のホストタウンということで俄然注目を浴びておりますが、今日8/22が誕生日の著名人はどういうわけかその愛知・名古屋に所縁のある人物が多いようです(生誕順・敬称略)。

土居まさる(平川巌彦、1940.8.22~1999.1.18)
東海ラジオが裏番組の『ばつぐんジョッキー』(1968~86、CBCラジオ)に対抗して立ち上げた平日午後の生ワイド番組『ぶっつけワイド』(1978~97)の月曜メインパーソナリティを放送開始から2年間担当。奇しくも月曜の“対戦相手”は同学年且つタレントデビュー同期(1970)の板東英二(1940~2026)だった(どちらも前年限りで、板東はプロ野球選手を引退、土居は文化放送を退社)。

みのもんた(御法川法男、1944.8.22~2025.3.1)
自身の経営する水道メーター会社「日国工業」(現・ニッコク)の本社がかつて名古屋市にあったことで度々名古屋を訪れ、同社で勤務することがあり、そのついでにテレビ愛知開局(1983.9.1)の翌々日から7ヶ月間放送された土曜昼の生番組『みのもんたの時間ですよ~』(1983~84)の司会を務めていたことがある。

タモリ(別名:タモリ一義/森田一義、1945.8.22~)
書くまでもないが、1980年代初頭に名古屋をこき下ろすギャグで世間を賛否両論の渦に巻き込んだ(ちょうど、名古屋市の1988オリンピック落選の時期と重なる)。

金田賢一(1961.8.22~)
元プロ野球選手(通算400勝投手)の父、金田正一(1933~2019)は愛知県中島郡平和村(現・稲沢市の一部)生まれで、同県の享栄商業学校(現・享栄高校)を中退し1950年に結成間もない国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。また、正一は中日スタヂアム→中日球場(現・ナゴヤ球場)の対中日ドラゴンズ戦において、国鉄投手時代(1957.8.21)にNPB史上4人目の完全試合を達成し、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)監督時代(1974.10.23、第25回日本シリーズ第6戦)には同球団を第1回(1950、当時は毎日オリオンズ)以来24年ぶりの日本一に導く。賢一自身も、NHK名古屋放送局・CBCテレビ(TBS・毎日放送(今年9.1、MBSに社名変更予定)系)・東海テレビ(フジテレビ・関西テレビ系)の各在名局制作ドラマに何作か出演歴あり。

岡田有希子(佐藤佳代、1967.8.22~1986.4.8)
愛知県一宮市生まれ、名古屋市熱田区育ち。また、高校1年生の1学期のみ名古屋市立向陽高校に通学(2学期より卒業まで東京・堀越高校)。急逝の2日前に郷里の名古屋市民会館(現・Niterra日本特殊陶業市民会館)で開催のデビュー2周年ライブツアー「Heart Jack」2日目が生涯最後の仕事となった。

菅野美穂(別名:蓮井朱夏/菅野→堺美穂、1977.8.22~)
愛知県春日井市が舞台の劇場版映画『ディア・ファミリー』(2024、監督:月川翔(1982~))で、大泉洋(1973~)扮する主人公・坪井宣政の妻・陽子を演じる。ちなみに同作の原作となったノンフィクション小説『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』の著者の清武英利(1950~/元読売新聞記者且つ読売巨人軍球団代表)はかつて読売新聞中部支社の社会部長を歴任している。

北川景子(北川→内藤景子、1986.8.22~)
武内直子(武内→冨樫直子、1967~)原作漫画且つテレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』(1992~97、テレビ朝日・名古屋テレビ・朝日放送テレビ系)の実写ドラマ化同名作品(2003~04、CBCテレビ制作・TBS・MBSテレビ系)でセーラー戦士の一人、セーラーマーズこと火野レイを演じる。

【蛇足】
※土居とみのは立教大学(4学年違いのため入れ違い)→文化放送(同僚だったのは1967~69の3年間のみ)の先輩・後輩。
※タモリ(『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1982~2014、フジテレビ・東海テレビ・関西テレビ系))とみの(『午後は○○おもいッきりテレビ』(1987~2007、日本テレビ・中京テレビ・よみうりテレビ系/みのは1989.10から出演)→『おもいッきりイイ!!テレビ』(2007~09、同))は長年に亘り平日昼のテレビ生番組でしのぎを削りあってきた。
※菅野は日テレorフジの自身主演ドラマの番宣で先述2番組のどちらかに出演すると必ず番組司会者に「私、(みのorタモリ)さんと誕生日が同じなんですぅ~」と口にするのが定番だった。
※南関東ローカルではあるが、金田も前述2番組の裏で生番組の『1230アッと!!ハマランチョ』(2004~11、tvkテレビ神奈川・テレビ埼玉・千葉テレビ/テレ玉・チバテレは冒頭30分のみ)の月・火曜のメイン司会を担当した。
※北川がこの世に生を受けたのは、岡田が衝撃的な最期を遂げた約4ヶ月半後。

新聞投稿欄の詩歌

冬二

2026/08/04 (Tue) 04:52:11

時々新聞の短歌の投稿欄を見るのですが、昔はもっと感動する歌が多かったように感じます。残念ながらこの頃の新聞の投稿欄はレベルダウンしているような気がするのです。昔読んで記憶に残っているのをあげます。(記憶が不確かなので不正確です。また投稿欄で見たと思うのですが、もしかしたらそうでないかもしれません。)

半ズボン汚し帰りし幼子を叱る夢見つ戦死せしかな

嫁ぐ我の風呂をくべつつ幸くあれと語りし父亡く二十とせを経る

背かれて十年は経ちぬ夢に来し君病む我にやさしかりけり

終の母を父と看取れる夢覚めて二人ながらに亡き人なりし

俳句欄も中学の頃の頃愛媛新聞でよく読んだのですが

春の汽車ふた駅乗りて旅に似る

とか味わい深い俳句が多かったように思います。レベルが落ちたのは父親が風呂をくべることが無くなり汽車が無くなったからでしょうか。

Re: 新聞投稿欄の詩歌

野歩本

2026/08/11 (Tue) 10:43:17

突然、おそれいります。
数学の先生でしょうか。

滑走の英雄

田主丸

2026/08/10 (Mon) 20:23:10

昨年の一月ごろ youtube を見ていたら、それまで知らなかった新たなスケート競技が目に入った。 三人のスケーターが縦に並んで滑っていくのである。 これは見ていて面白かった。 何時の、何處の競技大會のものか氣にしないまま、三月頃まで見っぱなし。

この競技、パシュートというのだそうである。 勝負は百分の一秒単位で決まる。 剣道もそうだが、この瞬時の争いが見ているものを興奮させるのである。
見ているうちに、どうも日本チームとオランダがトップの位置を争っているようである。 スケートでは氷を蹴飛ばしてスピードを付けるのであるから、足が長い方が有利であると思いきや、なかなかどうして、日本チームのスピードの素晴らしさ。 技術なんだねえ。 スケートの技術の難しさは、主に二点にあるようだ。 直行ではまっすぐ進めず、ヨットと同じくまぎっていかなければならない。 だから斜めに進む角度を決めるのが難しいのだと思う。 次にカーブ、刃どうりに進みたがるスケートをタイミングよく角度を切り替える、その巧さが勝負を決めるのだと思われた。  日本チームの技術は素人にも分かるほど素晴らしかった。 それにチームワーク、三人の動きがピッタリ、一糸乱れない一個体として動いていく。 なんとも素晴らしい。

よくみていると、日本チームの中では、高木美帆という方がリーダーを務めているようである。 他の二者を含めた三名が全く同じように滑行していくようにしていく、リーダーも難しいんだろうね。

私はテレビを見ないから実態は知らないが、昨冬も日本チーム、いい成績を擧げたようである。 そして高木美帆さんの引退。 まだ若いのにと思ったが、スケートでは特に腰、膝の負担が大変なのだろう。

此度政府は、美帆さんへの国民栄誉賞を決めた。良かったね。 これほどの成績を擧げるにはどれ程の苦しい努力が必要だったろうか。 報いてあげるのは大切な事だと思う。

美帆ちゃん、今後はもう一度頑張って、よき後進を育ててあげてくださいね。





連子窓の弟子

セザールフランク

2026/08/01 (Sat) 14:10:46

りんご様

返信の仕方が分からず、間違えたようです。改めまして。

講義に紛れ込み、自宅まで招いていただくーー羨ましくて失神しそうです。
筑紫哲也のようなお人ですね。宜しくお伝えください。

Re: 連子窓の弟子

りんご

2026/08/01 (Sat) 19:50:21

有難うございます。
酷暑の折ご自愛ください。

絵痴(補足)

セザールフランク

2026/07/29 (Wed) 16:34:49

[1]
りんご様

私の駄文を「級友」にご紹介とのこと、恐縮です。
「丸山眞男を崇拝する者」とは、もしかしたら60年安保の世代のお人でしょうか。
あの頃、我々の世代は丸山眞男、少し上の世代は小林秀雄、ちょっと後は吉本隆明、だったような気がします。
あれから60年、今も読むべき価値を有するのは丸山眞男だけ、といったら何処かからお叱りを受けるでしょうか。

[2]
前の投稿で私は自分を「絵痴」と言いましたが、絵の価値を貶めたり否定したわけではありません。
絵は私には「猫に小判」ですが、猫であろうと犬であろうと麻生であろうと、小判は小判としてそれ自体の価値で存在しています。

実際、私には美術の好きな仲間が何人もいます。私を美術館に誘った同僚は東山魁夷が好きだと言ってます。
高校の美術の教師をしていた学生時代の友人は退職後もあちこち旅をして、時々個展を開いたりしています。
会うと(私が絵痴とも知らず)色々教えてくれたりします。話自体は面白いので飽きませんが、それによって私の感性が「絵痴」から「絵通」に変換されるかというと、そうならない。

古寺巡礼の旅をして寺院や仏像に感銘を受けながら、肝心要の御本尊への信仰はパス、それが現代のありようですが、私の絵痴はそれに似ています。

美に関する書物を痛快に楽しむ体験が、私の「絵痴」を「絵通」に変換しない。絵の周りを言葉によって堂々巡りしながら絵その物にはさわれない。
価値ある物が眼前にあるのにそれに関与できない。周りをウロウロするだけというのは空しいものです。
古人曰く「手なくして宝の山に入りたるがごとし」。これが絵痴の心境です。

[3]
絵の話だけで終わるのは何となく物足りないので、最後に音楽について最近の心境を綴ります。
年齢から最近はよく自分の「葬送音楽」を考えます。
最近は家族葬が多いので、実現可能かどうかは別として、どの音楽で送って欲しいか。

色々候補はありますが、現在は2つに絞りました。
1 セザール・フランク 「パニス・アンジェリクス(天使の糧)」
2 モーツァルト クラリネット協奏曲第2楽章

jcomが器械を無料で交換してくれたので、古いテレビでYouTubeが見られるようになりました。パニス・アンジェリクスの色々のヴァージョンを楽しんでいます。

丸山眞男先生Re: 絵痴(補足)

りんご

2026/07/31 (Fri) 15:53:57

1946年生まれです。
学生運動とは無縁に過ごしたようです。
高校の級友でした。


東大生に紛れ込んで講義を拝聴。

丸山先生とは教え子でもないのに
今で言う押し?
東大に紛れ込んで講義を拝聴しても温かく見守り、自宅までも招いていただいた思い出話を聞いてます。勉強会でしょうか?
そのようなグループに入ってたようです。

モンナ・リーサ

絵っ痴

2026/07/26 (Sun) 01:32:58

ルーブルのモナリザの前で世界の観光客が言う三大セリフ。
・この絵のどこがそんなにいいんだろう。
・この絵はいくらするんだろう。
・このぐらいの絵なら私にも描けると思う。

絵痴

りんご

2026/07/25 (Sat) 21:17:11

とても味わいのあるコメント。
思わず笑いが込み上げました。
私の級友に丸山眞男を崇拝している者が1名。
早速、承認を得ない段階で彼に紹介しました。
悪しからず

絵痴

セザールフランク

2026/07/07 (Tue) 17:07:22

暫く前、「絵痴」という言葉に出会いました。

「ぼくは絵というのは全然ダメ」
「絵画については、僕は絵痴だから何にもいえない」(『丸山眞男集 別集第三巻)

大塚史学、丸山政治学と併称された一方の稀代の碩学の言葉に驚くとともに、実は私もそうなのですよと内心で呼び掛けたのでした。

絵痴とは多分、「絵が分らない」ということだと思います。丸山氏の「分からない」と私の「分からない」を同等に扱うのは僭越とも思いますが、あれこれ忖度しても埒が明かないのでその辺は無視します。

私の「絵が分からない」というのは、絵を見ても心の中に何の反応も起きないことです。
例えて言うと、硬貨と磁石を近づけても何も起きません(昔の古い50円硬貨は磁石にくっついたそうですが)。私と絵はそのような間柄です。

1987年にルーブル美術館でモナリザと再会しました。
1974年、上野の国立博物館が初対面の場でしたが、係員の必死の「立ち止まらないでください」との叫び声のために視線をモナリザに固定して首を捻りながら10秒くらいで、通り過ぎました。
13年ぶりの再会でした。
今度は周囲に人も疎らで誰にも邪魔されず小半時もモナリザと「睨めっこ」をしました。
自分の目の網膜に隅から隅まで目に焼き付けるように見たつもりでした。

それから、モナリザに別れを告げて歩き始めた時、「自分はモナリザの何を見たのだろう」という思いがこみ上げてきました。
小半時も見ていた間、省みると自分の心には何の変化も生じていなかったことに気づかざるを得ませんでした。
「確かに見た。しかし、何も見なかった」という思いです。
絵痴ではない人のように、自分の感動を表す言葉を私は紡ぎだすことができませんでした。

「感動」があるのにそれを表現する言葉が見つからないという、表現力不足ではありません。
表現を求めてやまない「感動」がそもそも最初からないのです。

「モナリザを見て感動しないとは!」と教養ある人たちから軽蔑されそうな事態です。
モナリザだけではありません。印象派は特にダメ。ゴッホもセザンヌも同じ。
ルーブルでのモナリザ体験はトラウマとまでは言えないにしても、良い思い出にはなりませんでした。

そういう自分の中に何か欠損しているものがあるのではないかとの、密かな疑惑が丸山眞男氏の言葉によって一掃されたような、救いの言葉になったような気がしました。あの丸山眞男と自分は同じなのだ、という逆説的な喜び。

音痴は広辞苑にもあり、市民権を得ている言葉であり、音痴の人もまた時には愛すべき存在として許容されている存在です。

一方、「絵痴」は多分丸山氏の「造語」ではないかと考えていますが、市民権は得ていません。これから得られるかどうかも分かりません。
ただ、「絵痴」なる人も案外多く存在しているのではなかろうかというのが、私の密かな考えです。音痴の人と同じくらい絵痴の人がいる、と考えるほうが自然だと思います。

「裸の王様」を歓呼して褒めそやす群衆のような「絵痴」の人もいるのではないかと言ったら、お前は「性格が悪すぎる」と言われそうな気もしますが。

過日、職場の同僚に誘われて八王子の富士美術館に行きました。何かの催し物が行われていました。それとは別に1点素晴らしい絵を見つけました。
ヴァン・ダイク(いろいろな読み方があるようですが)の、「ベッドフォード伯爵夫人 アン・カーの肖像」という絵です。

伯爵夫人の美しさに打たれました。「撮影可」だったのでスマホで撮影して、「壁紙」にしました。17世紀に生きた夫人のその美しさに毎日感動しています。
今は伯爵夫人が私のモナリザですが、これは絵そのものに対する感動ではなく、モデルである女性の美しさへの感動ですから、私が絵痴であることにはやはり変わりはないようです。

「ふるさとの母」(歌:松島詩子さん)

ジーン

2026/07/02 (Thu) 16:29:24

 たまに聞きたくなる歌でありまして、聞くと泣きそうになるのです…。戦前の歌で、歌ったのは松島詩子さん、作曲は「山のけむり」「たそがれの夢」「白い花の咲く頃」等の名曲を世に出した田村しげる氏(1980年没)であります。

 詩は4番までありまして、1番は「青い月夜はふるさとの/よわいさみしい お母さま/遠い我が子を案じては/涙ぐんでじゃ あるまいに」と歌われ、2番は「思い出しますあの頃は/抱いて寝かせて暖めて/こんなに大きくしてくれた/何でご恩を忘れましょ…」と歌われます。

 余談ながら、田村さんのお嬢さんは東宝映画の「3人娘」の一人だった田村奈己さんでした。余談ながら、他の2人は星由里子さん、浜美枝さんだったでしょうか…。

レニ・リーフェンシュタール

田主丸

2026/06/21 (Sun) 01:25:30

今の若い方々、レニ・リーフェンシュタール (Leni Riefenstahl) をご存知だろうか。

先日圖書館のDVDの棚を見ていたら、隅の方のスポーツ棚で、「民族の祭典」「美の祭典」を見つけた。 なんとも懐かしい。 1936年の「ベルリンオリンピック」の記録映画であり、その撮影を監督したのがレニ・リーフェンシュタールである。

私がこのフィルムを見たのは、確か昭和18年か、19年頃、黒澤明の監督第一作「姿三四郎」が昭和18年、その頃である。 私がまだ幼い頃で、盟邦ドイツで行われたオリンピックの記録映画だという認識があっただけで、これが映画史上「大變な作品」であることなど全く判ることもなかった。 記録映画として最高のものか、ナチス体制讃美の不道徳映画か、ドイツ敗れたあと問題を呼ぶことになる。

この記録映画を思い出さされ、それについていろいろ學んだのは、1964年の東京オリンピック大會のときである。 この東京オリンピックを記録映画を担当したのは市川崑で、記録映画に慣れぬ市川監督は、レニのベルリンオリンピック記録映画を参考にしたのだった。
レニの作品の特徴は、一に、滅亡寸前から立ち直り、スポーツ世界大會をこれほど大々的に開催するに至ったドイツ民族の誇りを謳いあげることであった。 確か、聖火リレーが始まったのはこのベルリン大會からであるし、あの堂々たる入場行進は各國それぞれの誇りを主張している。 オリンピック大會が、単なる運動會から、國家的事業に變遷するのはここからなのである。

(このベルリン大會が、ナチス體制の成果を主張するものと見做し、反ファシズムの、ドイツ人を含む各國のスポーツ選手たち(主に共和的、左翼的な人々)が、同じころスペインのバルセロナで別の競技大會を開催する予定であったが、フランコの叛亂でおじゃんになり、彼らは共和派としてスペイン内戰に参加することになる。)

レニの記録映画の第二の特徴は、記録映画なのに競技の勝敗の記録がまったくないのである。 ただただ肉体の躍動する美しさを強調するのみ。 田島選手が三段跳びで優勝するが、その動きは撮られているが、誰との名前も出ないしメダル授与もない。 棒高跳びで日本が二位、三位を取るがこれも同じ。 あの日本で有名になった「前畑がんばれ、前畑がんばれ、、、」の前畑さんは優勝したのに全く姿を見せていない。 水泳競技では肉体の躍動する美しさを撮るのは難しいのだろうけれど。
レニの競技の勝敗に拘らない、ただ肉体の躍動する美しさを撮り続けた映画、「美の祭典」は各國関係者から大變な好評を得たのだった。勿論ヒットラーからも。 だがしかし、、、(後述)

1964年の東京オリンピックの時の監督市川崑は、このレニの記録映画を参考したとのことである。 私自身はテレビの実況だけで、映画自体は見ていないが、ただ河野一郎が「こんなものは記録映画ではない」と怒ったとのことである。 その後の始末は知らない。

その頃のレニの記録映画に関するある説明の記事。 レニは戰後、この記録映画のため、ナチス體制協力者として責任を問われたのである。 連合国側から軍事裁判に引き出された。 これは無罪になったが、酷いのはドイツ人一般市民から総すかんをくらったのである。 その記事を見た私は思った。「そりゃないだろう。 時の権力者に才能を認められ、記録映画をまかされ、親しくなったからといって責められるのはおかしい。 あの映画だって、ナチス體制で大発展を遂げたドイツ民族を讃美するだけものではないか。 時の、七千万人のドイツ人の殆どがナチス體制を支持していたではないか。」 合理的、理性的、知性的で知られたドイツ人一般民の不合理なレニ攻撃にはがっかりしたのだった。
レニ・リーフェンシュタールには本當に氣の毒に思う。

昨夜、このレニの「民族の祭典」「美の祭典」を見ながら、いろいろ考えさせられた。 何をどう考えたか、もう長くなるから記述はやめておこう。
ただ、これだけは言っておきたい。 一般大衆の人物評価は極めて危険であるといこと。 フランス革命ロシア革命のときの一般大衆をみればよくわかる。 イギリスでは、第一次大戰勃発の第一の責任者チャーチルが相変わらずの一流政治家と見なされているし、アメリカでは第一の人種差別主義者で殺人狂のリンカンが英雄である。 日本では、國賊のナンバーワンに擧げられているお方が大の人氣者だし、その息子がカワイ子ちゃんをお嫁にしてたちまち人氣者になり、今では政治能力もまだ分からないのに総理大臣候補にまで祭り上げられた。

一般大衆の人物評価はまことに愚かしくも危険である。

Re: レニ・リーフェンシュタール

田主丸

2026/07/01 (Wed) 18:42:48

DHさま

御識見確と承りました。

私も多々申し述べたいことがありますが、長くなってはいけませんので、ここでこの項終了いたしたく思います。

ただ若い方々、勝者側のプロパガンダに惑わされず眞實を見極めていくよう願っております。

Re: レニ・リーフェンシュタール

DH

2026/06/30 (Tue) 16:23:05

田主丸様

ニュルンベルク国際軍事裁判も極東国際軍事裁判もどちらもあくまで〈勝者が敗者を裁く〉ものであり、必ずしも公平・公正ではなかったと思います。

東條や広田、ゲーリングやヘスは開廷前から有罪であることが決まっており、裁判は謂わば1種の政治的ショーであったと言えるでしょう。

一言で言えば『勝てば官軍』であり、〈賊軍〉である日本やドイツには初めから発言権などなかったのです。

アメリカによる原爆投下、東京大空襲やドレスデン大空襲を筆頭とする非戦闘員に対する無差別大量殺戮、ソ連による中立条約の一方的破棄及びシベリア抑留等々、連合国側の行為は全く裁かれていません。

ただ、極東国際軍事裁判を認めるか否かとは別個の問題として、東條や土肥原、板垣等、当時の政治・軍事上の指導者たちには、あのような無謀な戦争へと日本を導いた責任はあると思います。

リーフェンシュタールとは些か離れてしまいましたが、二つの国際軍事裁判について思うところを申し上げました。


Re: レニ・リーフェンシュタール

田主丸

2026/06/26 (Fri) 22:09:11

DHさま

レニは、それまでに作成した映画により、ヒトラーに才能を認められ、ナチスが政権を取った1933年、ナチス黨大會の記録映画「信念の勝利」、翌年同黨大會の記録映画「意志の勝利」、そして1936年のベルリンオリンピックの記録を成功裡に作成致しました。 いずれもドイツ國民のみならず世界の多くの方々から好評を得ています。
前二者は明らかに、ヒトラーが意圖したナチス黨のプロパガンダ映画です。 それを見事に表現したレニの腕前、褒められこそすれ批判されるのは不當というものです。

お尋ねしますが、ナチス黨のプロパガンダ映画だから肯定的な評価は出來ないというのは、一體どういう意味でしょうか。 ナチス黨ないしナチス體制が「悪」だからというのでしたら、それは事後法に悖るもので不遡及の原則に反します。 レニがそれらの記録映画を作成した頃は、ナチス黨もナチス體制もドイツ國民のみならず多くの國々から賞賛されこそすれ、決して「悪」とは見做されていませんでした。

戰後、ナチス黨ないしナチス體制が惡の権化のように言われたのは戰勝者ないし反ファシズム派側の勝手な主張で、それをそのまま受け入れるのは軽はずみというものではないでしょうか。

後半についても、申しのべたい事は多々ありますが、長くなりますので止めておきます。
参考のため、藤原正彦さんの言葉を下記に。

 「民主主義は、国民が成熟しているのが条件、
  成熟していなければポピュリズムになる。
  ポピュリズムを食い止め、民主主義国家で
  あるためには一般市民の教養が必要」

私は思う。 戰後日本の教育制度はアメリカにより破壊され、眞の教養にあふれた日本人は育たなくなってしまっていると。


<蛇足>
思うことがあって、文章にはなるべく旧漢字を使うように努めていますが、なかなか難しい。「価」や「旧」などの古い文字はパソコンにはでてこないし。

Re: レニ・リーフェンシュタール

DH

2026/06/22 (Mon) 23:34:07

田主丸様

リーフェンシュタールには、ナチの党大会の様子を撮影した「意志の勝利」という作品もありますね。映像としては秀逸だと思いますが、どうしてもナチのプロパガンダ映画として受け取られてしまうので、肯定的な評価はし難いように思います。

>一般大衆の人物評価はまことに愚かしくも危険である。

仰ることはわかりますが、さりとて〈賢人政治〉の如きものが実現する可能性も低いと言わざるを得ません。
民主主義とは実に厄介なシステムです。