今年は私の住む愛知県が開幕まであと1ヶ月を切った第20回アジア競技大会(アジア大会愛知・名古屋2026)のホストタウンということで俄然注目を浴びておりますが、今日8/22が誕生日の著名人はどういうわけかその愛知・名古屋に所縁のある人物が多いようです(生誕順・敬称略)。
土居まさる(平川巌彦、1940.8.22~1999.1.18)
東海ラジオが裏番組の『ばつぐんジョッキー』(1968~86、CBCラジオ)に対抗して立ち上げた平日午後の生ワイド番組『ぶっつけワイド』(1978~97)の月曜メインパーソナリティを放送開始から2年間担当。奇しくも月曜の“対戦相手”は同学年且つタレントデビュー同期(1970)の板東英二(1940~2026)だった(どちらも前年限りで、板東はプロ野球選手を引退、土居は文化放送を退社)。
みのもんた(御法川法男、1944.8.22~2025.3.1)
自身の経営する水道メーター会社「日国工業」(現・ニッコク)の本社がかつて名古屋市にあったことで度々名古屋を訪れ、同社で勤務することがあり、そのついでにテレビ愛知開局(1983.9.1)の翌々日から7ヶ月間放送された土曜昼の生番組『みのもんたの時間ですよ~』(1983~84)の司会を務めていたことがある。
タモリ(別名:タモリ一義/森田一義、1945.8.22~)
書くまでもないが、1980年代初頭に名古屋をこき下ろすギャグで世間を賛否両論の渦に巻き込んだ(ちょうど、名古屋市の1988オリンピック落選の時期と重なる)。
金田賢一(1961.8.22~)
元プロ野球選手(通算400勝投手)の父、金田正一(1933~2019)は愛知県中島郡平和村(現・稲沢市の一部)生まれで、同県の享栄商業学校(現・享栄高校)を中退し1950年に結成間もない国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。また、正一は中日スタヂアム→中日球場(現・ナゴヤ球場)の対中日ドラゴンズ戦において、国鉄投手時代(1957.8.21)にNPB史上4人目の完全試合を達成し、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)監督時代(1974.10.23、第25回日本シリーズ第6戦)には同球団を第1回(1950、当時は毎日オリオンズ)以来24年ぶりの日本一に導く。賢一自身も、NHK名古屋放送局・CBCテレビ(TBS・毎日放送(今年9.1、MBSに社名変更予定)系)・東海テレビ(フジテレビ・関西テレビ系)の各在名局制作ドラマに何作か出演歴あり。
岡田有希子(佐藤佳代、1967.8.22~1986.4.8)
愛知県一宮市生まれ、名古屋市熱田区育ち。また、高校1年生の1学期のみ名古屋市立向陽高校に通学(2学期より卒業まで東京・堀越高校)。急逝の2日前に郷里の名古屋市民会館(現・Niterra日本特殊陶業市民会館)で開催のデビュー2周年ライブツアー「Heart Jack」2日目が生涯最後の仕事となった。
菅野美穂(別名:蓮井朱夏/菅野→堺美穂、1977.8.22~)
愛知県春日井市が舞台の劇場版映画『ディア・ファミリー』(2024、監督:月川翔(1982~))で、大泉洋(1973~)扮する主人公・坪井宣政の妻・陽子を演じる。ちなみに同作の原作となったノンフィクション小説『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』の著者の清武英利(1950~/元読売新聞記者且つ読売巨人軍球団代表)はかつて読売新聞中部支社の社会部長を歴任している。
北川景子(北川→内藤景子、1986.8.22~)
武内直子(武内→冨樫直子、1967~)原作漫画且つテレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』(1992~97、テレビ朝日・名古屋テレビ・朝日放送テレビ系)の実写ドラマ化同名作品(2003~04、CBCテレビ制作・TBS・MBSテレビ系)でセーラー戦士の一人、セーラーマーズこと火野レイを演じる。
【蛇足】
※土居とみのは立教大学(4学年違いのため入れ違い)→文化放送(同僚だったのは1967~69の3年間のみ)の先輩・後輩。
※タモリ(『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1982~2014、フジテレビ・東海テレビ・関西テレビ系))とみの(『午後は○○おもいッきりテレビ』(1987~2007、日本テレビ・中京テレビ・よみうりテレビ系/みのは1989.10から出演)→『おもいッきりイイ!!テレビ』(2007~09、同))は長年に亘り平日昼のテレビ生番組でしのぎを削りあってきた。
※菅野は日テレorフジの自身主演ドラマの番宣で先述2番組のどちらかに出演すると必ず番組司会者に「私、(みのorタモリ)さんと誕生日が同じなんですぅ~」と口にするのが定番だった。
※南関東ローカルではあるが、金田も前述2番組の裏で生番組の『1230アッと!!ハマランチョ』(2004~11、tvkテレビ神奈川・テレビ埼玉・千葉テレビ/テレ玉・チバテレは冒頭30分のみ)の月・火曜のメイン司会を担当した。
※北川がこの世に生を受けたのは、岡田が衝撃的な最期を遂げた約4ヶ月半後。