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少年小説

セザールフランク  new!

2026/11/03 (Tue) 16:45:06

田主丸様のご投稿に刺激され、二番煎じを承知で私も少年時代の読書を振り返ってみたくなりました。田主丸様は私より数歳の先輩にあたるようで、名のみ知って読んだ記憶のない本ばかりで残念でしたが『怪人二十面相』は読みました。

戦争で生まれ故郷の東京・根岸を逃れて母の郷里、長野県南小谷村に縁故疎開して2歳から小学4年まで過ごしました。本とは関わりの薄い生活。兄たちが借りてくる、少年クラブ、少年、おもしろブック、冒険少年、譚海、野球少年等を拾い読みするくらい。

昭和28年4月、根岸に戻りました。そこでまとまった本に出合いました。
根岸の家の押し入れには祖父が読んだらしい大日雄弁会講談社の講談全集が積み重なっていました。何気なく読み始めてたちまちその面白さにはまってしまいました。漢字はすべて振り仮名付きです。

思い出す順に列挙すると、赤穂義士銘々伝(神崎与五郎、堀部安兵衛、赤垣源蔵)、元和三勇士、幡随院長兵衛、寛永三馬術、夕立勘五郎、笹川繁蔵、飯岡助五郎、国定忠治、勢力富五郎、日蓮上人、呑龍上人、粂平内、千葉周作、塩原多助、相馬大作、壷坂霊験記、蟹萬寺縁起、江戸練羊羹由来、観世肉付きの面、岩見重太郎等々。

旧仮名遣いと旧漢字に親しみました。
閑話休題を「それはさておき」と読むことや、「落花狼藉」「天晴れ仇討の本懐」とか「コレお女中」「お内儀」などいう面白い言葉。
また「名人上手と申しますが名人と上手とでは天地雲泥の違いが御座います」などいう文句に、フーン、と感心したりしていました。

講談は読むことの面白さをごく自然に教えてくれました。通俗的ではあれ過去というものも教えてくれました。
次いで、講談社の世界名作全集のいくつか。ボアゴベ『鉄仮面』は江戸川乱歩が、『水滸伝物語』は松本清張が子供向きにリライトしていました。「清張」を「キヨハリ?セイチョウ? 何て読むの」と兄に聞いた覚えがあります。

6年生の時、新宿の加藤製本所の職人だった叔父が「これを読んでみな」と言って呉れたのが、『君たちはどう生きるか』(牧書店)でした。
これを読んでから、私の読書は新しい「局面」に入ったような気がします。
新しい局面に入ってから読んだのは新潮文庫の「シャーロック・ホームズ」全冊。それから『二十四の瞳』『次郎物語』でした。

今日はとりあえず、ここまで回想してみました。

根岸の生家の近くに「御行の松」という年経りた心細い松があり、小学生の頃は説明板を横目で見ながら通ったものですが、数年前「一葉日記」にこの近くまで散策してきたことが記されているのを発見。
一葉と私が時を隔てて同じ空間にいることに訳もない嬉しさを感じました。積読状態だった一葉日記を「読んで良かった」としみじみとつくづくと感じました。残り少ない残余の人生で、まだどんな経験ができるか、そんなことを考えたりします。

お化けかぼちゃと再会

Black Swan

2026/11/02 (Mon) 21:27:00

(文中敬称略)
去る10/31、私は初めて京都鉄道博物館を訪れました。
旧梅小路機関車庫に展示されているSL群には圧倒されましたが、それよりも感動したのは日本初の気動車特急車両、国鉄キハ81系(運用:1960~78)が展示されていたことです!
私が小4になる前の春休み、1978年(昭和53年)3月25日(★1)、私は父親(故人)に連れられて国鉄名古屋駅(当時)の「さよなら80系電車(★2)」イベントを見に行った際に、別のホームで発車待ちをしていたキハ81系特急「くろしお」(★3)のユニークな車体前面を見てぶったまげたことを今でも記憶しています。
同車両はその風貌から「ブルドッグ」あるいは「お化けかぼちゃ」(★4)の異名を取っておりましたが、私が見た半年後の「53・10ダイヤ改正」により鉄路から姿を消しました(★5)。
あれから半世紀近く、奇しくもハロウィンの日に私は京都鉄博で48年ぶりにその「お化けかぼちゃ」(「くろしお」のヘッドマーク付)に再会できました!
「お化けかぼちゃ」を始めとした激動の昭和を彩った鉄道車両に出逢えるなど、渚ゆう子(大江千鶴子、1945~)の同名曲(1970、作詞:林春生(林良三、1937~95)、作曲:ザ・ベンチャーズ)ではございませんが、当日の私は『京都慕情』に浸ったハッピーハロウィンになりました。

【注】
(★1)この日は石野真子(1961~)が『狼なんか怖くない』(1978、作詞:阿久悠(深田公之、1937~2007)、作曲:吉田拓郎(1946~))でレコードデビューした日であり、石野自身も同日茨城・取手市民会館から生中継された『8時だョ!全員集合』(TBS・CBCテレビ・毎日放送(現・MBSテレビ)系)に初ゲスト出演し同曲を歌唱した(ちなみに私は21世紀以降彼女に3回お会いしています)。
(★2)日本初の長距離用直流電車車両で、通称「湘南電車」(運用:1950~83)。私の見た「さよならイベント」では流線形2枚窓のタイプが使われていたが、京都鉄博では非貫通3枚窓のタイプが展示されている。
(★3)当時は名古屋~天王寺間(紀勢線経由)にて運用されていた。
(★4)ハロウィンの定番アイテムの「ジャック・オー・ランタン」のことではなく(1978年当時は日本にハロウィンの風習は無かった)、同名の異名を取っていた巨漢プロレスラーのヘイスタック・カルホーン(William Dee Calhoun、1934~89)が由来となっている。蛇足ながら、俳優・コメディアン・グルメレポーターの石塚英彦(1962~)の定番ファッションはカルホーンをモチーフにしている。
(★5)このダイヤ改正で旧「くろしお」は名古屋~紀伊勝浦間の気動車特急「南紀」と新宮~天王寺間の電車特急「くろしお」に分割された(紀勢線新宮~和歌山間直流電化に伴う)。ちなみに新「くろしお」(381系電車特急車両)は、山口百恵(1959~)の同名曲(1978、作詞・作曲:谷村新司(1948~2023))が使用された国鉄の『いい日旅立ち』キャンペーンCMに出演している。

少年小説

田主丸

2026/10/31 (Sat) 11:54:49

 (續けて書込むのも氣が引けるが)

先日圖書館で、珍しい本に出合った。

「敵中横断三百里」(山中峯太郎)。
なんとも懐かしいというか、これを讀んだのは確か昭和十九年頃、兄が持っていた本だったか、古くなっていた雑誌「少年倶樂部」だったか。 日露戰爭時の騎兵挺進隊の斥候記。 夢中で讀んだものだった。
ふうん、こんな本が見れるんだと思い、次に少年小説の一級品と言われた「神州天馬侠」(吉川英治)をと思ったが、これは確か随分長いので止めておき、「豹(ジャガー)の眼」(高垣眸)にした。 この本、大人になって讀んでみればなんとも荒唐無稽としか言いようもないストーリーだが、少年達にとっては無理筋なんかはどうでもよい、主人公の勇敢な少年の冒険、活躍、危機に陥った時の戰いに、血を沸き立たせて讀んだものだった。

この手の少年小説が盛んになったのは、昭和の初め頃に創刊された「少年俱樂部」以來だと思う。 上記の山中峯太郎、高垣眸のほか、吉川英治、大佛次郎、佐藤紅緑、佐々木邦、南洋一郎、江戸川乱歩、海野十三、サトウハチロウ、等々、戰記物、冒険物、ユーモア小説、、、
戰後は、「少年クラブ」のほか。「少年」「少年画報」などの雑誌で續けられた。
 (兄が本を讀めるようになるまでのものは、
  文學青年だった父が買込んでおいたもの。
  少女小説もあったが、こちらは姉が大きく
  なってから自分で手にいれていた。)

とにあれ、これを機會にまた往時の少年小説を讀んでみることにした。 昨日一日中パソコンであちこち検索し、現在では「少年倶楽部名作選」「少年倶楽部文庫」「少年小説大系」などに収録されているようである。 歳をとれば精神は幼き頃に還るという。 これから暫く幼き頃の本を愉しもう。

次は、吉川英治の「神州天馬侠」、南洋一郎の「吼える密林」、山中峯太郎の「亜細亜の曙」、江戸川乱歩の「怪人二十面相」、、、ああ、愉しみだ。
      

Re: 少年小説

Konoha

2026/11/01 (Sun) 20:42:16

 懐かしさが込み上げてきました。あの頃、私は『漫画王』を取っていましたが、近所の貸本屋で子供向けの小説を借りていました。本のタイトルは忘れてしまいましたが、海賊物とか落城物を夢中で読んでいました。でも父から貸し本を禁止されてしまいました。父が若い頃結核をしたせいかもしれません。

 私の数少ない読書歴の中には推理小説はなく、今、you tubeの朗読にハマっていて、江戸川乱歩とか他の作家の推理小説を聴いています。特にオカルトっぽいサスペンスが面白く楽しんでいます。
 

體育

田主丸

2026/10/23 (Fri) 22:18:38

今日当ホームの同居人に付添い整形外科に行った。

当人の診療中待合室にいたが、目の前の壁のポスター、その中央、大きな楷書で「體育」とある。 まことに見事な書体、巧い字だなあと感心してしまった。
ふと気が付いた。「體」って「体」の旧字ではないか。 うん、昔は人間の身体を表す文字は「體」と書いたんだ、骨を豊かに、人間の立派な体格は骨組みが豊かであればこそなんだと思った。

その文字の下側に、「子供のころに育んだ健やかな身体は一生ものの資産です」とある。 よく解る。 そして私の頑健な体格は、父母が人一倍子供の栄養に気を使い、運動の機会を与えてくれた先生先輩方のお蔭、と感謝の思いに至った。 これからも百歳に至るまで、一時間も木剣を振りまわしていられるよう頑張るからね。
ありがとう。

それにしても、「體」とはいい文字ですね。 「体」なんかに変わられたんではつまらない。 

東海林太郎のヒット曲掲載への感謝

リュウシン

2026/10/09 (Fri) 15:31:09

東海林太郎のヒット曲の掲載ありがとうございます。
秋田市大町二丁目にある東海林太郎音楽館に勤務しております。
いまだに県外の東海林太郎ファンが訪ねて来られることが多く嬉しく思っています。太郎のゆかりの品々等を多数展示しております。
ご質問にも丁寧にお答えするようにしています。
開館時間⇨10時~16時
入場無料で(月)休館日。12/29日~1月2月が冬期閉館。
詳細はネットに掲載中。

Re: 東海林太郎のヒット曲掲載への感謝

Black Swan

2026/10/11 (Sun) 13:20:49

リュウシン様

「東海林太郎(1898~1972)音楽館」の情報ありがとうございます。
同館が入居されている場所は第48代横綱・大鵬こと納谷幸喜(1940~2013)夫人のご実家の土地ということらしいので、私が秋田を訪れることがあったら同様に入居されている「大鵬ギャラリー」共々、東海林・大鵬の昭和の大スター2名を顕彰する両記念館を訪れてみたいと思います。
蛇足ながら、私は以下の人物(文明開化以降、敬称略)を顕彰する記念館への訪問歴があります(現在は閉館したものも含む)。

【北海道】石原裕次郎(1934~87)
【岩手】サトウハチロー(佐藤八郎、1903~73)
【栃木】山本有三(山本勇造、1887~1974)
【埼玉】本田美奈子.(工藤美奈子、1967~2005)
【東京】渥美清(田所康雄、1928~96)、山田洋次(1931~)
【神奈川】安藤百福(1910~2007)★、藤子・F・不二雄(藤本弘、1933~96)
【長野】藤城清治(1924~)
【富山】藤子・F・不二雄…神奈川(川崎)の分館
【石川】松井秀喜(1974~)
【愛知】豊田佐吉(1867~1930)★、新美南吉(渡邊→新美正八、1913~43)
【京都】美空ひばり(加藤和枝、1937~89)
【大阪】松下幸之助(1894~1989)★
【鳥取】水木しげる(武良茂、1922~2015)
【岡山】星野仙一(1947~2018)
【福岡】出光佐三(1885~1981)★、松本清張(1909~92)、王貞治(1940~)
【佐賀】村田英雄(梶山勇、1929~2002)
【大分】稲尾和久(1937~2007)

★:企業記念館の要素も含む。
(安藤…日清食品グループ、豊田…TOYOTAグループ、松下…Panasonicグループ、出光…出光興産)

佐藤愛子さん

田主丸

2026/10/03 (Sat) 11:08:38

今年の初め、佐藤愛子さんが亡くなられた。
 
佐藤愛子さんのお父君佐藤紅緑は大文筆家で、文学青年だった私の父がかなり影響をうけたとのこと。 私にとっては「ああ、玉杯に花うけて」により、爾後の読書の習慣をつけさせて頂いた。
お兄さんのサトウハチロウは、私の子供の頃の雑誌、「少年倶楽部」「少年」でおなじみだった。 佐々木邦、海野十三、南洋一郎、江戸川乱歩などとともに愛読したものです。 サトウハチロウのユーモアたっぷりの小説はほんとに愉しかった。

佐藤愛子さんのものはやはり女性ものでしたから、姉が読んでいるものを時々読ませていただいた。 文章には筆者の心根が現れるとのことですが、佐藤愛子さんの文章からはご本人の心の優しさが感じられたものでした。

佐藤さんのお言葉のうち、この二つが心に残っている。 その一つ、「私、女に生まれてよかったわ、だって女の人と結婚しなくてよかったんだもの」。 この意味、男性諸君ならよくお解りの事と思う。 次の言葉「女はどうしても男にはかなわない」 これが言える女性は素晴らしいと思う。 言葉づかいに「女には男がかなわないところもあるんですよ」という味が感じられる。 賢いんですねえ。 素敵なご婦人でした。

あちらの世界では、相変わらず微笑みの中で愉しく過ごされておられることと思う。 「ご冥福を」という言葉も必要ないかもしれない。

『一かけ二かけて』

yasushi

2026/09/24 (Thu) 16:41:57

毎朝楽しんで観ております、NHKテレビの朝ドラ『風、薫る』が、明日最終回を迎えると思うと、一抹の寂しさを憶えます。

今朝の回では、看護のシーンで、女性の患者さん(役)が歌った歌が心に留まりました。字幕から読み取りますと、
  ♪いちかけ にかけて さんかけて(一かけ 二かけて 三かけて)
   しかけて ごかけて はしをかけ(四かけて 五かけて 橋をかけ)
   はしのらんかん こしをかけ(橋の欄干 腰をかけ)
   はるかむこうをながむれば(遥か向こうを眺むれば) 
   じゅうしちはちのねえさんが(十七八の姉さんが)…♪
ここまで来て、ドラマは次のシーンに変わりました。
はて、子供のころ聴いた歌だが、何という歌だったか、この後に続く歌詞はどうだったか気になり、朝ドラを観終わったあと、ネットで調べました。
その結果、この歌は、手合わせ歌などとして親しまれているわらべうた『一かけ二かけて』(いちかけ にかけて)で、歌詞には様々のバリエーションがあるとのこと。(『世界の民謡・童話』を参照)
前(前述)に続く歌詞(例)として、
  ♪花と線香 手にもって
   もしもし姉さん どこ行くの
   私は九州 鹿児島の
   西郷隆盛 娘です
   明治十年の 戦役に
   切腹なさった 父上の
   お墓詣りに 参ります…♪

長調の明るい歌で、私がまだ子供だったころ、女の子たちがこの歌に合わせて、”手合わせ”遊びに興じていた光景が、懐かしく思い出されます。
この歌が、今どきの子供たちにも引き継がれているだろうか、との思いがよぎります。

Re: 『一かけ二かけて』

yasushi

2026/09/26 (Sat) 13:35:28

野歩本様、konoha様からのお便りを、楽しく拝読しました。
”子どもの頃、手合わせ遊びなどでよく歌った思い出の歌です”(野歩本様)、”小学生の頃、お手玉で歌う歌でした。西郷隆盛の歌もよく歌ったものです” (konoha様)とのこと、微笑ましいです。
この歌は、広く全国的に知られているわらべうたのようですね。
それにしても、この歌(歌詞の後半で西郷隆盛さんが登場)をNHKの朝ドラ『風、薫る』で聴いた日(9/24)が、西郷隆盛さんの命日だったとは、知りませんでした。不思議なご縁を感じます。

鹿児島と云えば、一昨年のドライブ旅行を思い出します。
城山公園からの展望(街並み、海を隔てて桜島を見渡す)、西郷さんの立像見物(中央公園)、指宿(いぶすき)での砂風呂体験、枕崎で”枕崎鰹船人めし”(言わば、カツオ丼)を頂いたことなど、得難い体験でした。

konoha様からご紹介ありました、数え歌『一列らんぱん 』をYouTubeで聴いてみました。子供のころ聴いた記憶が甦りました。

”暑さ寒さも彼岸まで”。季節が変わる折柄、ご自愛なさいますよう。

Re: 『一かけ二かけて』

Konoha

2026/09/26 (Sat) 10:52:06

私も朝ドラでの歌に思い出した歌がありました。小学生の頃、お手玉で歌う歌でした。西郷隆盛の歌もよく歌ったものです。

 子供の頃は何とも思わず歌ったものでしたが、意味がわかるようなる歳になると、当時は凄い歌を子供達に歌わせたものだと思いました。まさに年端もいかない子供たちを鼓舞したものでした。

 歌詞が具体過ぎるのでここに載せるわけにはいきませんが、もし興味がお有りでしたらご紹介いたします。


https://www.youtube.com/watch?v=gYUKF-WmhZI
一列らんぱん - YouTube

Re: 『一かけ二かけて』

野歩本

2026/09/25 (Fri) 14:11:27

♪明治十年秋半ば、切腹なされた父上の……♪

 子どもの頃、手合わせ遊びなどでよく歌った思い出の歌です。
当時、子どもながらに「鹿児島の人が鹿児島で歌うのに、なぜ『私は九州鹿児島の』と歌うのだろう」とずっと不思議に思っていました。yasushi 様のコメントを読み、この歌が遠く離れた関西地方で歌われていたものだと知り、70数年ぶりに謎が解けました。「ちゃわんむしのうた」のように鹿児島発祥だと思い込んでいたので、本当に驚きです。
 我が家にはテレビがなく、こちらのコメントがなければ思い出すこともなかった大切な記憶です。素晴らしい気づきをいただきました。
 まことアイガトモサゲモス。(ありがとうもうしあげます)9月24日、西郷隆盛の命日に。

水原・三原・鶴岡

Black Swan

2026/09/22 (Tue) 16:23:12

今年から選手権方式が変わった日本プロ野球の二軍、ファーム・リーグは東地区は北海道日本ハムファイターズが、西地区は福岡ソフトバンクホークスが制し、残る中地区は横浜DeNAベイスターズの優勝が濃厚と言われております。
更に3地区の各2位球団のうち最高勝率球団(所謂「ワイルドカード」)を含んだ4球団でトーナメント方式の「ファーム日本選手権」が10/3(1回戦2試合)・4(日本一決定戦)に静岡市・しずてつスタジアム草薙で開催されるのでそれも楽しみです。
さて、先述の3球団(いずれも前身名)の一軍を初の日本一に導いた監督は、東映フライヤーズ(1962、現・北海道日本ハム)が水原茂(1909~82)、大洋ホエールズ(1960、現・横浜DeNA)が三原脩(三原修→脩、1911~84)、南海ホークス(1959、現・福岡ソフトバンク)が鶴岡一人(鶴岡→山本→鶴岡一人、1916~2000)なんですが、日本の歌謡界にも「水原・三原・鶴岡」が盛り上げた年がありました。
それは、野球の「水原・三原・鶴岡」が先述球団(水原と三原はその年限りで、鶴岡は翌年退任)の現役監督だった1967年です。
この年の日本レコード大賞(第9回)は、大賞は三原綱木(1945~2026)がメンバーの「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」の『ブルー・シャトー』(作詞:橋本淳(与田準介、1939~2026)、作曲:井上大輔(井上忠夫、1941~2000))、最優秀歌唱賞は水原弘(高和正弘、1935~78)の『君こそわが命』(作詞:川内康範(川内潔、1920~2008)、作曲:猪俣公章(1938~93))が受賞、またレキントギターの第一人者・鶴岡雅義(1933~)が結成したムード歌謡ユニット「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」が結成3年目にして『小樽のひとよ』(リードボーカル:三條正人(渡辺正好、1943~2017)、作詞:池田充男(1932~)、作曲:鶴岡雅義)で大ブレイクしました。
野球界は「水原(1982)→三原(1984)→鶴岡(2000)」と、生年順に鬼籍に入りましたが、一方の歌謡界は水原(1978)が42歳の若さで衝撃的な最期を遂げ、つい先日には三原(2026)の訃報が伝えられましたが、両者よりも年上の鶴岡(現在93)だけは今なお健在です。
鶴岡一人はかつて「鶴岡親分」と呼ばれましたが、和田弘(1931~2004/マヒナスターズ)、黒沢明(1934~2009/ロス・プリモス)、内山田洋(内山田道生、1936~2006/クール・ファイブ)、敏いとう(伊藤敏、1940~2024/ハッピー&ブルー)といった歌謡曲黄金時代のムード歌謡ユニットのリーダーが相次いで鬼籍に入った現在、その世界の「鶴岡親分」である鶴岡雅義には100を過ぎてもとは言いませんが今後もレキントギター片手に活躍してくれることを願います。

Re: 水原・三原・鶴岡

dv

2026/09/23 (Wed) 06:19:44

全盛期の日本プロ野球界の名監督・水原茂、三原脩、鶴岡一人と、日本歌謡界のスター/リーダー・水原弘、三原綱木、鶴岡雅義とを、同姓という観点から、詳細な経歴説明と緻密な文章力により、見事に対比させた素晴らしいコメントです!!

アムネスティーと人権

DH

2026/09/21 (Mon) 14:30:59

アムネスティー・インターナショナルという人権擁護団体があります。

私自身アムネスティーの主張に同意しかねる部分があるので(もちろん同意できる部分もあります)これまで度々メールで問い合わせたことがあるのですが、一度も返信をいただいたことがありません。

もちろん匿名ではなく、住所・氏名・年齢・性別・電話番号等を明記した上で送信しています。

恐らく一介の無名の高齢者のメールなどには一々返信しないというような方針なのかも知れませんが、やや誠意に欠けるのではないかと思います。

多分、国会議員等であれば対応するのでしょうね。

ある種の権威主義の如きものが感じられます。


現在、アムネスティー・日本の内部でハラスメントが発生しているようですが、理事者側は誠実に対応しようとはしていない状況が存在します。

〈人権擁護〉を掲げる組織に於いて人権侵害が起きているのであれば本末転倒だと言わざるを得ません。

「他人には厳しく、自分には甘く」ではアムネスティーに対する支持・共感が得られにくいように思います。

どっちが文明人?

田主丸

2026/09/12 (Sat) 22:23:27

今、「西太后」という本を読みだしている。 まだ初めの方だが、面白い記述があったのでご紹介したい。

1856年、アロー号事件で英仏軍が北京にまで侵攻した。 当時大清帝国が世界に誇った名宮(名園)、円明園に侵入し、宝物すべてを略奪し、園全体を破壊しつくした。

この暴戻にさすがのヨーロッパ人にも批判の声があがった。
その時の、ヴィクトル・ユーゴ―の言葉が面白い。
 「世紀の名宮が消えてしまった。
  わたしたちヨーロッパ人は文明人だ。
  わたしたちにとって、中国人は野蛮人だ。
  ところがこのことは文明人が野蛮人に対し
  行われたことなのだ。」

幾世紀にもわたって略奪殺人を続けてきたヨーロッパ人が文明人で、幾世紀にもわたって最高の文明を築き上げてきた中国人(王朝民族は変われど)が野蛮人だと。
ヨーロッパ人なんて、ルネッサンスまでは人殺し道具(武器)以外になにも進歩しなかったくせに。

ヴィクトル・ユーゴーは大文豪であるし、ナポレオン三世の帝政を批判してフランスを離れていた人、ちっとはまともな人かと思っていたのに、今この言葉を知りがっかりしてしまった。

「西太后」はいろいろと学ぶことがあるとのことで読みだした。まだまだキリスト教文明人の大清帝国という「野蛮人国家」での暴戻が出てくることだろう。 面白い話があったら、またご紹介しますね。