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お願いがあります

12月の旅人

2025/09/07 (Sun) 00:11:01

最近「この歌を載せてください」等の依頼が多いと思います。
この場は、二木先生が個人で運営されている場のはずです。
私達は、その場の中で歌に関する思い出話を書き込んだり、皆さんと交流したりして、楽しませてもらっています。
仮りに依頼された歌が取り上げられた場合、依頼した方は自分の依頼が聞き入れられたと思うでしょう。
他の方々も次々と同じことをすると、収拾がつかなくなります。
今まで依頼がなかった(全くなかったとは言いません)のは、皆さんがそう考えていたからでしょう。
選曲の依頼は、先生の選曲の幅を狭めることになるのではないでしょうか。どうぞ先生を苦しめないでください。
また「この歌を載せない理由は」と問うのは、野暮だと思うのです。
誰にでも言いたくない(言う必要がない)ことはあるはずです。
どうぞ御一考をお願いします。

Re: お願いがあります

12月の旅人

2025/09/11 (Thu) 11:57:14

Black Swan様
この度の果断な行動に感謝致します。
行間までも読んで頂いたのだと存じます。

この「うた物語」のような場は、他にはないと考えますので、大切にしていきたいと思います。
お騒がせ致しました。

末筆ではございますが、二木先生、ご同好の皆様のご健康、ご多幸を祈念致します。

Re: お願いがあります

Black Swan

2025/09/10 (Wed) 18:12:39

12月の旅人様

貴殿のおっしゃる通りです。
私は「あの曲がない」と思って本掲示板にリクエストしようかと思ったのが大暴走してしまい二木先生並びにこちらに来訪されている皆様に不快な思いをさせて大変申し訳ございませんでした。
自戒の意味もこめて、私のリクエストに関する投稿は削除いたしました。
大歌手・橋幸夫さんの訃報は残念ですが、私は橋さんが天国から「Black Swan、お前それはないだろう~。」と叱ってるんだろうな、と思ったことも反省の一因です。
橋幸夫さんのご冥福をお祈りすると同時に、二木先生ならびにこちらのWebに来訪されている皆様にご迷惑をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。

老婆心ながら固有名詞は大事です

老爺心

2025/08/07 (Thu) 23:58:06

Black Swan様
先日「折り鶴」のページに「折鶴」(折り鶴ではない)とご投稿されました。確かにレコードやテレビ放送などでは「折鶴」と表記されていたと思います。
JASRACで作品検索すると、正題として「折り鶴」となっています。二木先生は、こちらの表記を基準にされているようなので、先生の間違いではないと思います。
ついでに交流掲示板についてです、太田裕美の本名は福岡弘美だったと思います。

Re:老婆心ながら固有名詞は大事です

Black Swan

2025/08/08 (Fri) 13:49:42

老婆心様

ご指摘ありがとうございます。
と同時に私の投稿における誤字等の件、こちらのサイトにご来訪されている皆様に対しまして慎んでお詫び申し上げます。
尚、太田裕美氏のご本名につきましては訂正いたしましたので、宜しくお願いいたします。

『うた物語』

yasushi

2025/07/29 (Tue) 16:35:34

私(S12生まれ)が、『二木紘三のうた物語』に初めて投稿させて頂きましたのが2015(H27)年ですので、約10年になります。
この約10年の間に、そこに掲載されている幾多の和洋の歌について、二木オーケストラによる演奏を聴きながら、二木先生による名解説や個性豊かなうた物語に触れて、歌の世界が広がり、また、投稿を介して同好の方々と交流することができました。
このような場を提供して下さっている二木先生に対して、感謝しきりです。

さて、この『うた物語』には膨大な数の歌が掲載されていますが、他にも、掲載されたなら一層楽しかろう、と思われる歌がいくつかあります。
もしかして、と淡い期待を抱きながら、10曲限定で挙げさせて頂きました。

<戦前歌謡曲>
①『裏町人生』(島田磬也 作詞、阿部武雄  作曲、上原敏/結城道子  唄 S12)
  ♪暗い浮世の この裏町を…♪
②『目ン無い千鳥』(サトウハチロー 作詞、古賀政男  作曲、霧島昇/ミス・コロンビア  唄 S15)
  ♪目ン無い千鳥の 高島田…♪
③『南の花嫁さん』(藤浦恍 作詞、荘 光 作曲 高峰三枝子 唄 S17)
  ♪ねむの並木を お馬のせなに ゆらゆらゆらと…♪

<戦後第1期歌謡曲>
①『東京の花売娘』(佐々詩生 作詞、上原げんと 作曲、岡晴夫 唄 S21)
  ♪青い芽をふく 柳の辻に…♪
②『アメリカ通いの白い船』(石本美由起 作詞、利根一郎 作曲、小畑実 唄 S24)
  ♪小鳥さえずる 森蔭(もりかげ)すぎて…♪
③『かりそめの恋』(高橋掬太郎 作詞、飯田三郎 作曲 三条町子 唄 S24)
  ♪夜の銀座は 七色ネオン…♪
④『白い船のいる港』(東辰三 作詞・作曲、平野愛子 唄 S25)
  ♪青い海に 白い船 今日も見えるけど…♪
⑤『星影の小径』(矢野亮 作詞、利根一郎 作曲、小畑実 唄 S25)
  ♪静かに静かに 手をとり手をとり…♪
⑥『マロニエの並木路』(矢野亮 作詞、中野忠晴 作曲、松島詩子 唄 S28)
  ♪たそがれの 鐘の音が 流れゆく 銀座裏…♪
 
<外国民謡・歌曲>
①『希望のささやき(Whispering Hope)』(Hawthorne 作曲、緒園凉子 訳詞)
  ♪天つ御使いの 言葉さながら…♪


なお、この約10年の間に、心密かに期待していた愛唱歌が、掲載されたこともありました。大変嬉しいことで、以下に挙げさせて頂きます。

<戦前歌謡曲>
①『お使いは自転車に乗って』(上山雅輔 作詞、鈴木静一 作曲、轟夕起子 唄 S18)……’18-1-1掲載

<戦後第1期歌謡曲>
①『白樺の小径』(佐伯孝夫 作詞、佐々木俊一 作曲、淡谷のり子 唄 S26)……’21-5-8掲載
②『別れの磯千鳥』(福山たか子 作詞、フランシス・K・ザナミ 作曲、近江俊郎 唄 S27)……’23-6-12掲載   

<外国ポピュラーソング>
①『谷間に三つの鐘が鳴る』(ジャン・ヴィヤール 作詞・作曲、ベルト・ライスフェルト 英語詞、日本語詞:不詳 )……’20-11-20掲載

Re: 『うた物語』

yasushi

2025/07/31 (Thu) 20:34:40

konoha様からのお便りを楽しく拝読しました。
小柳ルミ子さんが歌う『南の花嫁さん』を”お気に入り”に入れて、時々見ておられる由、同好の方に出会えて嬉しいことです。
ご教示を受けて、私も、YouTubeで、小柳ルミ子さん歌唱の『南の花嫁さん』を、初めて聴きました。心うきうき、楽しくなりますね。
なお、私の方は、高峰三枝子さんが歌う『南の花嫁さん』が、HDDジュークボックス(S社製)に入っており、ときおり聴いております。前奏部分などに出てくる、馬の鈴?を模したようなシャン、シャンという拍子が印象的で、気分が乗ります。

今は、まさに真夏で、炎天下の日々。ご自愛なさいますよう。
この猛暑、酷暑を乗り切り、涼しい秋を迎えたいものです。

Re: 『うた物語』

konoha

2025/07/31 (Thu) 09:38:19

yasushiさま、様々な歌のご案内楽しく拝読させていただいております。ありがとうございます。
今回の歌の中の <戦前歌謡曲>③『南の花嫁さん』(藤浦恍 作詞、荘 光 作曲 高峰三枝子 唄 S17)♪ねむの並木を お馬のせなに ゆらゆらゆらと…♪  を、YouTubuでの小柳ルミ子の歌声をお気に入りに入れて、時々見ています。イラストが可愛らしく、声の明るさと初々しさがよく合っていて、無性に聴きたくなっています。ほのぼのとしてきます。

 管理人さま、yasushiさま並びに同好の皆様、毎日が酷酷暑です。どうぞくれぐれもご自愛なさってお過ごしください。

朝ドラ『あんぱん』

yasushi

2025/07/15 (Tue) 17:14:32

毎朝観ております、NHKテレビの朝ドラ『あんぱん』は、戦後の時代に入っており、否が応でも、生活が苦しかった当時が思い出されます。
一方、戦後歌謡曲の好きな小生にとって、どんな戦後歌謡曲が出てくるだろうかと気になるところです。

最初に出会ったのは、『リンゴの唄』でした。本編の『リンゴの唄』に投稿させて頂きました。(’25-6-26)
先週の回(7/8)では、歌の好きな、主人公の末の妹メイコさんが、
  ♪瞳いじらし あのえくぼ
   あゝ東京の 花売娘♪
と、歌っていました。
『東京の花売娘』(佐々詩生 作詞、上原げんと 作曲、岡晴夫 唄 S21)
でした。
そして、今朝の回では、やはり、歌の好きなメイコさんが、
  ♪なぜに寂しく あふるる涙…♪
と、口ずさんでいました。
聴いたことがある歌でしたが、何という題名の歌だったか思い出せず、”戦後第1期歌謡曲”を調べても、ありませんでした。更に調べると、”戦前歌謡曲”にありました。
『純情二重奏』(西條八十 作詞、万城目正 作曲、霧島昇・高峰三枝子 唄 S14)
でした。
なぜ戦後の歌でなく?と、ちょっと意外に思いましたが、あまり気にはなりませんでした。

まあ、いつも観ている朝ドラのなかで、知っている昭和歌謡曲が出てくるのは、楽しいことです。

上戸彩(ウエトアヤ)

上戸彩(ウエトアヤ)  Site

2025/07/06 (Sun) 09:43:39

こんにちは。
はじめましてどうかよろしくお願いいたします。

あたしは上戸彩(ウエトアヤ)なんだけどにゃー(笑)

ひまなときに↓↓↓↓↓
https://neko-no-hoodue.bbs.fc2.com/

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南海キャンディーズ
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o(^o^)o
がんばって生きていきたい!?

ほっこり

野歩本

2025/07/03 (Thu) 22:49:57

 天気晴朗 波静かの南の島に、
ニライカナイという名の新しい高速船がやって来ました。
 

 幼稚園、小学校、中学校の総勢30数名の子どもたち。手に手に、バケツや引き出し、傘や箱、帽子(コレは頭上に)を持ってお出迎え。
  なあに? なぜ? ああ。ほっこり。

 沖縄県の南城市立久高小中学校のブログで見ました。

悪役一代

Black Swan

2025/06/20 (Fri) 22:10:29

(文中敬称略)
ブログ本編の『一本刀土俵入り』の項目にも書きましたが、会場が60年続いた愛知県体育館から目と鼻の先にあるIGアリーナに移動して最初の場所となる令和七年大相撲七月名古屋場所開幕まで1ヶ月を切りました。
もちろん一番の注目は、横綱昇進後最初の場所となる大の里(中村泰輝、2000~)ですが、気になるのはマスコミが先輩横綱の豊昇龍(スガラグチャー・ビャンバスレン、1999~)を悪役扱いしないか、ということです。
豊昇龍がモンゴル出身且つ元横綱朝青龍(ドルゴルスレン・ダグワドルジ、1980~)の甥っ子というのは書くまでもないですが、土俵での振るまいが叔父そっくりであることに不快感を示すマスコミもいるだけに、悪役扱いされることは避けられないだろうと察しますが、おそらく当の豊昇龍は「俺のこと、悪役って書けばいいじゃん」と開き直って今場所に臨むことでしょう。
それで私が思い出すのが、今は無き近鉄バファローズのエースとして歴代4位の通算317勝を記録し同球団の監督も務めた「草魂」鈴木啓示(1947~)です。
鈴木が近鉄のエースを務めた時期は阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)の全盛期で、優勝目前の阪急に立ちはだかった際「俺が悪役と思ってる奴はそう書けばええ。野球は悪役が勝つから面白いんや。俺はヤジられればヤジられるほど燃えるんや」と豪語した、と聞きます。
また鈴木といえば近鉄監督時代野茂英雄(1968~、私と同い年)と確執を起こし、それが野茂のMLB(ドジャース)移籍に繋がった話は有名すぎますが、野茂が大活躍し日本国内で「野茂フィーバー」が起こっても「あんなんまぐれや。そのうち(日本に)帰ってくるわい」と野茂を持ち上げるマスコミを敵に回しても信念をねじ曲げず、それは野茂が種を蒔き、イチロー(鈴木一朗、1973~)・松井秀喜(1974~)らが水をやり、そして大谷翔平(1994~)が大輪の花を咲かせても変わることはありませんでした。
「大谷は野球をなめとる。何が二刀流や、ユニコーン(Black Swan注:奥田民生(1965~)率いるバンドではなく、空想上の生物のこと)やあるまいし」
「あいつ(大谷)はルールも何もかも目茶苦茶にしよった」
「大谷が投手出来んくなったのは走り込みが足らんかったからや」
あまりにも「思想が昭和すぎる」言動に当然マスコミや巷の「翔平マニア」を敵に回したことは言うまでもないですが、ここまで言いがかりまがいのコメントをぬかせば私なんかも憤りや呆れや失笑を通り越して拍手を送ってやりたいくらいです(もちろん嫌々な態度・顔つきで)。
しかしミスタープロ野球・長嶋茂雄(1936~2025)に言わせれば「スズは気配りを忘れない、とても繊細な人。世間が言うほど悪いやつじゃない」んだそうで、鈴木も「長嶋さんは俺のこと理解してくれる数少ないお方や」とリスペクトしておりました。
ところが去る6/3の長嶋の訃報には盟友・王貞治(1940~)や落合博満(1953~)、清原和博(1967~)、イチロー、松井、大谷など多くの野球人からお悔やみのコメントが聞かれましたが、その中に鈴木啓示の名前はありませんでした。
「重病に倒れた」だの「認知症を発症」だの真偽が定かでない情報が飛び交っておりますが、長嶋にコメントを出さなかったところを見ると鈴木が予断を許さない状況になってしまったことは間違いありません。
かつて公共広告機構(現・ACジャパン)CMで「わしは雑草や。踏まれても踏まれてもまた生えてきよる」と言っていた鈴木でしたが、時代は変わり悪質なマスコミよりも酷すぎるその「雑草」の息の根を止めてしまう「ラウンドアップ」(除草剤)ならぬ「ネットリンチ」の恐ろしさをまざまざと見せつけられたような気がしました。
次に鈴木啓示の名前が大々的に報じられるのが「アレ」でないことを祈ります。

ウエストサイド・ストーリー

hassan

2025/06/19 (Thu) 14:19:25

田主丸 様
私より少しお若い田主丸様、良くぞ駄文にお目を通していただきありがとうございます。
ウエストサイド・ストーリーに格別な思い入れがおありの様子を伺いました、残念ながら映画も見てなくテレビでの上映も興味がなく知らないのです、ごめんなさいね。
それより「南太平洋」確か(バリハイ)(魅惑の宵)が主題歌だったと記憶してます、高校入学当時に「映画教室】として学校から連れて行って貰いました、宵闇の映像が恐ろしく綺麗であったこと覚えております。
同じく映画教室の企画で「巴里のアメリカ人」がありました、ガーシュイン作曲の「巴里のアメリカ人」をバックに踊るレスリー・キャロンの可愛らしさに見惚れたものです、悪友たちとの会話の中で「女優で誰が好きか ? 」の問いに、何時もレスリー・キャロンと答えてました、とりたてて美人ではないがキュートな可愛らしさが魅力でした、青春時代の懐かしい想い出話です。

青春時代の素晴らしき友と音楽(その2)

Hassan

2025/06/10 (Tue) 16:01:10

 一年余り経って少し落ち着いた頃、浦和の自宅から通う友人と親しくなりました。実家が質屋と云うことで裕福でありながら、それを鼻に掛けることない人柄が良く、後年は海外で一緒に遊んだりお互いの結婚式に出席するとか終生の親友となりました。
 たまに紅い絨毯が敷かれた帝国劇場を始め、東劇、有楽座などで封切りの外国映画を一緒に見たり、格式高い当時の帝国ホテルとか都内の旧跡を案内してくれたり、常に文化的な教養を授けてくれました。

 コンチネンタル・タンゴ全盛期でした。「夢去りぬ」「夜のタンゴ」「ばらのタンゴ」「夢のタンゴ」等の名曲が聴ける場所として、銀座8丁目にタンゴ喫茶があって、「早川真平とオルケストラ・ティピカ東京」、場所は失念しましたが、誘われて「原孝太郎と東京六重奏団」を目の前で何度も聴く機会を得ましたが、何れも大編成ながら弦楽器の音が素晴らしく綺麗でした。

 シャンソンのメッカとも言われる銀座7丁目のシャンソニエ「銀巴里」へ良く連れて行ってくれました。
 小海智子(こかい・ともこ)と云う歌手が二人とも好きになり、よく通いました。年齢が私達と同年で、自宅が素晴らしい環境の麻布と云うお嬢様風な姿態で、英語はおろか、この時代に育ちが良くて美人でフランス語のシャンソンを唄っているなんて、憧憬だけで近寄りがたいものがありました。

 Youtube で「聞かせてよ愛の言葉を」を唄っている当時の「銀巴里」の写真がちょっと見られますが、低い舞台と客席の距離が近く非常に身近に歌が聴けるなど素晴らしい雰囲気でした。客席も詰め合わせて40人も入れば一杯だったような記憶ですが、後日に聞いた話ですが、常連客の中には何人もの凄い著名人が常に通っていたそうです。
 小海さんは大学教授でフランス文学の学者と結婚しましたが、10年程前に亡くなっております。

 貧しいながら新しいものの吸収に貪欲であった素敵な青春時代の一齣です。そのように今の私に少なからず影響を与えてくれた素晴らしき友も、7年前に亡くなり、私は友の遺品として小海さんから「友人への名前が入ったサインが描かれたレコード」を貰ってきました。
 数年前に懐かしい「銀巴里」跡を訪ねましたら、道路際に小さな「銀巴里跡」の石碑が立っておりました。

 私は今も海外プレスのLPレコードだけで音楽を聴くと云うクラシック音楽気違いです。
 流行歌の類いは全く興味がなく、演歌は大嫌いで、横で聴かされるだけでも苦痛なので、同様の趣旨の一家言を持つ作曲家・高木東六、歌手の淡谷のり子さんは尊敬に値すると決めていました。

 嫌いな歌謡曲と云うジャンルの中での例外として、そして期せずして同年の昭和25年に発表された演歌嫌いの高木東六が作曲した「水色のワルツ」、唄うは東京芸大卒の二葉あき子(1915~2011)。クラシック系の作曲家が作った流麗な曲です。
 同じく25年に封切られたイギリス映画「赤い靴」。美しいカラーの映像と共にバレリーナが主役の綺麗な映画でしたが、これに触発された西條八十と古賀政男のコンビで仕上げた名曲「赤い靴のタンゴ」。唄うは東京音大卒の奈良光江(1923~1977)。それまでの日本では珍しいお洒落な曲想の日本版コンチネンタルタンゴの傑作だと思います。

 現代の歌手たちと違って、流行歌の歌手でありながら二人とも音楽大学を卒業した本格派ですから、透明な声質と歌唱力が桁外れな方でした。
 余計なことですが、奈良光江さんは映画に出演するほど清楚な美貌で有名でしたが、美人薄命と云われるように54歳の若さで亡くなられています。

 少し脱線を。 「赤い靴のタンゴ」と共に1939年に発表された服部良一作曲の「夢去りぬ」は「赤い靴のタンゴ」と共に日本版コンチネンタル・タンゴの二大名曲で大好きな曲です。数年前に神戸のクラブで木佐貫裕珠さんが宮田定洋/倭子さんをバックにした「夢去りぬ:鈴蘭物語」)を聴きました。

 昭和26年に日本で最初の総天然色映画、木下恵介監督/高峰秀子主演「カルメン故郷に帰る」の主題歌「そばの花咲く」は、古き時代の北軽井沢の情景が目に浮かぶ情緒豊かな名曲で、youtube紹介されていますが、オルガンの伴奏が効いて一聴すると讃美歌かと思われます。
 唄うは武蔵野音大卒の渡辺はま子(1914~1999)です。少し声質が違いますが、前述の東京音大卒淡谷のり子(1907~1999)を含め、歌唱力の素晴らしさは音大卒業と云う素地あってのことと思われます。
(終わり)

Re: 青春時代の素晴らしき友と音楽(その2)

田主丸

2025/06/12 (Thu) 01:15:27

その昔の、銀座八丁目の「早川眞平とオルケスタ・ティピカ東京」のタンゴ喫茶をご存じの方に、今ここで出会うとは思いもしませんでした。 あの頃タンゴ全盛時代、愉しく思い出されます。

「銀巴里」の方もよく行かれたようですが、私はあのメケメケの歌手の、男だか女だか分からないような姿が好きになれず、敬遠しておりました。

ご参考までに、「赤い靴のタンゴ」のページの、私の(二つある初めの方の)書き込みをご覧ください。
貴方の見事な文章に比べて、私の文章の拙劣さを恥ずかしくは思いますが。

古き良き時代でした。

青春時代の素晴らしき友と音楽(その1)

Hassan

2025/06/10 (Tue) 15:59:45

 戦後未だ10年にもならない29年に地方都市からポッと出のお上りさん同然の学生時代の話です。
 「米穀通帳」なる通帳と云うか証明が無ければ米も買えない食糧難、食べることにも困っていました。戦後間もない春に地方都市の高校を卒業した私は、念願叶って東京の某大学に入学しました。

 先ずは先輩が住む西武新宿線、練馬の上石神井駅近くの田園風景が広がる2階建て3畳一間の部屋が上下で 20室程の学生専用アパートに押し掛け居候です。荷物は布団と1個のボストンバッグだけですが、2畳足らずの空間に二人が居住するには流石に狭い。一月余りの体験でした。
 半畳の押入れが付いたアパートの家賃が畳一枚 1,000円と云う基準から家賃が3,000円、ガスコンロが6台ほど並ぶ炊事場とトイレは共同でした。

 仕送りの金がなくなると、夜中に近所の畑からトマトなどの野菜を少しばかり頂戴したこともありました。飯田橋にあった「売血センター」で輸血用の血を売った経験もあります。
 一握りを除いた学生で質屋通いは当たり前の時代です。定期券を使い隣り駅の市場だとコロッケ5円が4円で売っているとか、昼食は10円のコッペパン1個で済ますとか ・ ・ ・ ・。
 勉強どころでない、とにかく常にお腹を空かしたひもじさで食べることが第一と云う時代でした。

 下宿先もアメリカ海軍の基地として夜ともなればネオン街が広がり華やかな時代の「横須賀」、未だ東京湾の埋め立て工事がなされておらず、干潮時には遠くまで干潟が広がる「船橋」、本郷の東大農学部の正門近くの「森川町」などと転々とする学生時代でした。

 少しだけ脱線です。横須賀の喫茶店で聴いた異国情緒が豊かな素晴らしい曲、アメリカ水兵から借りた最新のLPレコードで曲名はミュージカルの主題歌「キスメット」だと教えてくれました。
 クラシック曲に目覚めた折、気付きました。原曲はリムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」でした。

 「絶えずお腹を空かした飢える狼」同然の生活を送りながらも、勉強の方はそっち除けで、クラシック音楽が聴ける名曲喫茶店へ入り浸っておりました。
 今も残る新宿「ランブル」、渋谷「ライオン」を代表とする名曲喫茶店が一寸した町の駅前には何軒もあって、コーヒーの一杯で3時間、4時間も粘ってクラシックを貪欲に聴いておりました。(続く)