戦後未だ10年にもならない29年に地方都市からポッと出のお上りさん同然の学生時代の話です。
「米穀通帳」なる通帳と云うか証明が無ければ米も買えない食糧難、食べることにも困っていました。戦後間もない春に地方都市の高校を卒業した私は、念願叶って東京の某大学に入学しました。
先ずは先輩が住む西武新宿線、練馬の上石神井駅近くの田園風景が広がる2階建て3畳一間の部屋が上下で 20室程の学生専用アパートに押し掛け居候です。荷物は布団と1個のボストンバッグだけですが、2畳足らずの空間に二人が居住するには流石に狭い。一月余りの体験でした。
半畳の押入れが付いたアパートの家賃が畳一枚 1,000円と云う基準から家賃が3,000円、ガスコンロが6台ほど並ぶ炊事場とトイレは共同でした。
仕送りの金がなくなると、夜中に近所の畑からトマトなどの野菜を少しばかり頂戴したこともありました。飯田橋にあった「売血センター」で輸血用の血を売った経験もあります。
一握りを除いた学生で質屋通いは当たり前の時代です。定期券を使い隣り駅の市場だとコロッケ5円が4円で売っているとか、昼食は10円のコッペパン1個で済ますとか ・ ・ ・ ・。
勉強どころでない、とにかく常にお腹を空かしたひもじさで食べることが第一と云う時代でした。
下宿先もアメリカ海軍の基地として夜ともなればネオン街が広がり華やかな時代の「横須賀」、未だ東京湾の埋め立て工事がなされておらず、干潮時には遠くまで干潟が広がる「船橋」、本郷の東大農学部の正門近くの「森川町」などと転々とする学生時代でした。
少しだけ脱線です。横須賀の喫茶店で聴いた異国情緒が豊かな素晴らしい曲、アメリカ水兵から借りた最新のLPレコードで曲名はミュージカルの主題歌「キスメット」だと教えてくれました。
クラシック曲に目覚めた折、気付きました。原曲はリムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」でした。
「絶えずお腹を空かした飢える狼」同然の生活を送りながらも、勉強の方はそっち除けで、クラシック音楽が聴ける名曲喫茶店へ入り浸っておりました。
今も残る新宿「ランブル」、渋谷「ライオン」を代表とする名曲喫茶店が一寸した町の駅前には何軒もあって、コーヒーの一杯で3時間、4時間も粘ってクラシックを貪欲に聴いておりました。(続く)