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青春時代の素晴らしき友と音楽(その2)

Hassan

2025/06/10 (Tue) 16:01:10

 一年余り経って少し落ち着いた頃、浦和の自宅から通う友人と親しくなりました。実家が質屋と云うことで裕福でありながら、それを鼻に掛けることない人柄が良く、後年は海外で一緒に遊んだりお互いの結婚式に出席するとか終生の親友となりました。
 たまに紅い絨毯が敷かれた帝国劇場を始め、東劇、有楽座などで封切りの外国映画を一緒に見たり、格式高い当時の帝国ホテルとか都内の旧跡を案内してくれたり、常に文化的な教養を授けてくれました。

 コンチネンタル・タンゴ全盛期でした。「夢去りぬ」「夜のタンゴ」「ばらのタンゴ」「夢のタンゴ」等の名曲が聴ける場所として、銀座8丁目にタンゴ喫茶があって、「早川真平とオルケストラ・ティピカ東京」、場所は失念しましたが、誘われて「原孝太郎と東京六重奏団」を目の前で何度も聴く機会を得ましたが、何れも大編成ながら弦楽器の音が素晴らしく綺麗でした。

 シャンソンのメッカとも言われる銀座7丁目のシャンソニエ「銀巴里」へ良く連れて行ってくれました。
 小海智子(こかい・ともこ)と云う歌手が二人とも好きになり、よく通いました。年齢が私達と同年で、自宅が素晴らしい環境の麻布と云うお嬢様風な姿態で、英語はおろか、この時代に育ちが良くて美人でフランス語のシャンソンを唄っているなんて、憧憬だけで近寄りがたいものがありました。

 Youtube で「聞かせてよ愛の言葉を」を唄っている当時の「銀巴里」の写真がちょっと見られますが、低い舞台と客席の距離が近く非常に身近に歌が聴けるなど素晴らしい雰囲気でした。客席も詰め合わせて40人も入れば一杯だったような記憶ですが、後日に聞いた話ですが、常連客の中には何人もの凄い著名人が常に通っていたそうです。
 小海さんは大学教授でフランス文学の学者と結婚しましたが、10年程前に亡くなっております。

 貧しいながら新しいものの吸収に貪欲であった素敵な青春時代の一齣です。そのように今の私に少なからず影響を与えてくれた素晴らしき友も、7年前に亡くなり、私は友の遺品として小海さんから「友人への名前が入ったサインが描かれたレコード」を貰ってきました。
 数年前に懐かしい「銀巴里」跡を訪ねましたら、道路際に小さな「銀巴里跡」の石碑が立っておりました。

 私は今も海外プレスのLPレコードだけで音楽を聴くと云うクラシック音楽気違いです。
 流行歌の類いは全く興味がなく、演歌は大嫌いで、横で聴かされるだけでも苦痛なので、同様の趣旨の一家言を持つ作曲家・高木東六、歌手の淡谷のり子さんは尊敬に値すると決めていました。

 嫌いな歌謡曲と云うジャンルの中での例外として、そして期せずして同年の昭和25年に発表された演歌嫌いの高木東六が作曲した「水色のワルツ」、唄うは東京芸大卒の二葉あき子(1915~2011)。クラシック系の作曲家が作った流麗な曲です。
 同じく25年に封切られたイギリス映画「赤い靴」。美しいカラーの映像と共にバレリーナが主役の綺麗な映画でしたが、これに触発された西條八十と古賀政男のコンビで仕上げた名曲「赤い靴のタンゴ」。唄うは東京音大卒の奈良光江(1923~1977)。それまでの日本では珍しいお洒落な曲想の日本版コンチネンタルタンゴの傑作だと思います。

 現代の歌手たちと違って、流行歌の歌手でありながら二人とも音楽大学を卒業した本格派ですから、透明な声質と歌唱力が桁外れな方でした。
 余計なことですが、奈良光江さんは映画に出演するほど清楚な美貌で有名でしたが、美人薄命と云われるように54歳の若さで亡くなられています。

 少し脱線を。 「赤い靴のタンゴ」と共に1939年に発表された服部良一作曲の「夢去りぬ」は「赤い靴のタンゴ」と共に日本版コンチネンタル・タンゴの二大名曲で大好きな曲です。数年前に神戸のクラブで木佐貫裕珠さんが宮田定洋/倭子さんをバックにした「夢去りぬ:鈴蘭物語」)を聴きました。

 昭和26年に日本で最初の総天然色映画、木下恵介監督/高峰秀子主演「カルメン故郷に帰る」の主題歌「そばの花咲く」は、古き時代の北軽井沢の情景が目に浮かぶ情緒豊かな名曲で、youtube紹介されていますが、オルガンの伴奏が効いて一聴すると讃美歌かと思われます。
 唄うは武蔵野音大卒の渡辺はま子(1914~1999)です。少し声質が違いますが、前述の東京音大卒淡谷のり子(1907~1999)を含め、歌唱力の素晴らしさは音大卒業と云う素地あってのことと思われます。
(終わり)

Re: 青春時代の素晴らしき友と音楽(その2)

田主丸

2025/06/12 (Thu) 01:15:27

その昔の、銀座八丁目の「早川眞平とオルケスタ・ティピカ東京」のタンゴ喫茶をご存じの方に、今ここで出会うとは思いもしませんでした。 あの頃タンゴ全盛時代、愉しく思い出されます。

「銀巴里」の方もよく行かれたようですが、私はあのメケメケの歌手の、男だか女だか分からないような姿が好きになれず、敬遠しておりました。

ご参考までに、「赤い靴のタンゴ」のページの、私の(二つある初めの方の)書き込みをご覧ください。
貴方の見事な文章に比べて、私の文章の拙劣さを恥ずかしくは思いますが。

古き良き時代でした。

青春時代の素晴らしき友と音楽(その1)

Hassan

2025/06/10 (Tue) 15:59:45

 戦後未だ10年にもならない29年に地方都市からポッと出のお上りさん同然の学生時代の話です。
 「米穀通帳」なる通帳と云うか証明が無ければ米も買えない食糧難、食べることにも困っていました。戦後間もない春に地方都市の高校を卒業した私は、念願叶って東京の某大学に入学しました。

 先ずは先輩が住む西武新宿線、練馬の上石神井駅近くの田園風景が広がる2階建て3畳一間の部屋が上下で 20室程の学生専用アパートに押し掛け居候です。荷物は布団と1個のボストンバッグだけですが、2畳足らずの空間に二人が居住するには流石に狭い。一月余りの体験でした。
 半畳の押入れが付いたアパートの家賃が畳一枚 1,000円と云う基準から家賃が3,000円、ガスコンロが6台ほど並ぶ炊事場とトイレは共同でした。

 仕送りの金がなくなると、夜中に近所の畑からトマトなどの野菜を少しばかり頂戴したこともありました。飯田橋にあった「売血センター」で輸血用の血を売った経験もあります。
 一握りを除いた学生で質屋通いは当たり前の時代です。定期券を使い隣り駅の市場だとコロッケ5円が4円で売っているとか、昼食は10円のコッペパン1個で済ますとか ・ ・ ・ ・。
 勉強どころでない、とにかく常にお腹を空かしたひもじさで食べることが第一と云う時代でした。

 下宿先もアメリカ海軍の基地として夜ともなればネオン街が広がり華やかな時代の「横須賀」、未だ東京湾の埋め立て工事がなされておらず、干潮時には遠くまで干潟が広がる「船橋」、本郷の東大農学部の正門近くの「森川町」などと転々とする学生時代でした。

 少しだけ脱線です。横須賀の喫茶店で聴いた異国情緒が豊かな素晴らしい曲、アメリカ水兵から借りた最新のLPレコードで曲名はミュージカルの主題歌「キスメット」だと教えてくれました。
 クラシック曲に目覚めた折、気付きました。原曲はリムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」でした。

 「絶えずお腹を空かした飢える狼」同然の生活を送りながらも、勉強の方はそっち除けで、クラシック音楽が聴ける名曲喫茶店へ入り浸っておりました。
 今も残る新宿「ランブル」、渋谷「ライオン」を代表とする名曲喫茶店が一寸した町の駅前には何軒もあって、コーヒーの一杯で3時間、4時間も粘ってクラシックを貪欲に聴いておりました。(続く)

サイトの利用について

大島明

2025/05/24 (Sat) 19:50:42

こちら社会福祉協議会などのボランティアをしてるものですが、
老人等の集まりでボランティア目的にこのサイトを利用させてもらってよろしいでしょうか。具体的にはPCからhdmi等でテレビなどに写したり音源を流したりして歌を歌ってもらう為です。よろしくお願いします。

Re: サイトの利用について

二木紘三(管理人)

2025/05/25 (Sun) 19:00:43

曲はすべてSinger Song Writer Liteで作りました。曲形式はmp3です。

Re: サイトの利用について

大島明

2025/05/25 (Sun) 14:45:51

ありがとうございます。
ところで曲の音源、どのようにしてお作りになりましたか。

Re: サイトの利用について

二木紘三(管理人)

2025/05/25 (Sun) 00:49:25

どうぞ。

ウェストサイド物語

田主丸

2025/04/27 (Sun) 15:09:00

昨日図書館へ行った。
ふとDVDの棚を覗いていたら、オーララ!「ウェストサイド物語」があるではないか!
これは懐かしい映画だ。1962年だったかロスアンジェルスに居た頃見て感激したのだった。

嬉々として持ち帰った。

あらためて素晴らしいダンスを堪能した。 ダンサーたちの中のメインは、ジョージ・チャキリスとリタ・モレノなのだろうけれど、いえいえ、出場しているダンサーすべてが一流なんだろうと思う。 リズムにのって激しく躍動するグループの動きの美しさ。 魅せられる。 あらためて感激した。

この映画が出来た頃、ミュージカル映画が押し出されていた頃で、「南太平洋」「オクラホマ」「略奪された七人の花嫁」、、etc. いいミュージカル映画がいろいろあって愉しんだけれど、この「ウェストサイド物語」がやはり一番素晴らしいと思った。 
この映画にもいい歌唱曲がいくつもあったけど、この「ウェストサイド物語」はミュージカル映画というより、むしろ「ダンシング映画」だよね。 繰り返しになるけど、みんなそれぞれが一流のダンサーなのだろうが、やはりジョージ・チャキリスとリタ・モレノが、他の方がたより、ほんのわずか「1ミリ」程度か巧かったように思えた。 特にリタ・モレノのダンスには、ただただ驚嘆するのみ。 演技もうまいし。

この映画より少し前の頃、別の種類のダンサーたちがゐました。 ジンジャー・ロジャース、フレッド・アステア、ジーン・ケリー、シド・チャリッシ―、、それにドナルド・オコーナー、ヴェラ・エレンも入れていいか。 その人たちのダンスは、また別の、静かで優雅な舞踏ですね。(タップがあっても静かなといっていいんでしょう)
そちらの方の映画もそれなりに素晴らしい。

アメリカという国が嫌いな私も、あの頃のミュージカル映画の数々には、素晴らしかったなあという思いが残ります。

いや、ほんとに「ウェストサイド物語」、素晴らしい映画でした。
アメリカ映画の中では、「風と共に去りぬ」の次に好きな映画です。


<註>
若い方々に間違えられると困りますので、
「ウェストサイド物語」は、2012年に作られた「ウェストサイド・ストーリー」とは別のものです。





Re: ウェストサイド物語

konoha

2025/05/04 (Sun) 21:11:42

学生の時か高校生の時だったか忘れてしまいましたが、再上映だったと思います。『風とともに去りぬ』も再上映で池袋の映画館で見ました。いろいろな古い映画を思い出します。あの頃は3本立てもあり、よく3本も見られたものだと思います。若かったのですね。

Re: ウェストサイド物語

田主丸

2025/05/01 (Thu) 21:25:41

この名画の同好の方、いらして頂いて喜ばしく思います。
(この映画は 1961年の製作、 konoha さん、おそらく中学生あたりの頃ですか、ママにでも連れられてご覧になったのでしょうか。)

それはさておき、
「ウェストサイド物語」、返却前にと、昨日再び見てみました。 いいですねえ、何度見てもいい。
劇場版ではたしか120分ぐらいだったと思いますが、DVDでは151分、この長いフィルムが全体的にリズㇺにのったダンシングの動きで進みます。 ヤングたちの動きがすべて舞踏なのだ。 彼らの躍動する動きの美しさよ。
考えてみたら、ミュウジカル映画はかずかずあれど、この手のミュウジカル映画、むしろダンシング映画というべきものは初、そしてあとにも無いのではないかとおもう。 画期的なのだ。 製作部門側へのアカデミー賞が8部門というのがそれを物語る。
そして出演者側へは、ジョージ・チャキリスとリタ・モレノへの助演男優、女優賞。 なんとも見事な映画ではないか。
ジョージ・チャキリス、リタ・モレノだけではない、ラス・タンブリン、タッカー・スミス等々、踊りまくるヤングたちの見事さよ。

ほんとに素晴らしい、文字通りの名画である。

Re: ウェストサイド物語

konoha

2025/04/28 (Mon) 10:56:15

懐かしい映画のお話ありがとうございます。
リタ・モレノの『アメリカ』も素晴らしかったですね。女性ダンサーグループの先頭に立って、スカートの裾を持ちフリフリしながら踊っている姿が鮮明に思いだされます。曲も脳内に蘇ってきます。そして紫のシャツを着て、ネクタイは黒だったか定かではありませんが、ジョージ・チャキリスが先頭で左足を高く挙げ、両手を広げて踊る男性群のダンスも忘れられません。

 あの映画の後のジョージ・チャキリスの人気がすごかったですね。

節操なき応援団

Black Swan

2025/04/04 (Fri) 21:06:55

(文中敬称略)
日本のプロ野球が開幕して1週間が経ちました。
中日ドラゴンズファン歴ちょうど半世紀の私は新監督・井上一樹(1971~)の采配はもちろん、若きエース・高橋宏斗(2002~)が昨年以上の成績を上げることを期待しておりますが、やはりプロ野球と歌謡曲を愛する者としては中日のみならず各球団の応援団が奏でるメロディーに耳がいってしまいます。
中日なら甲子園大会の定番でもあるピンク・レディー(未唯mie(根本美鶴代、1958~)・増田惠子(増田→桑木啓子、1957~))の第9回日本歌謡大賞受賞曲『サウスポー』(1978、作詞:阿久悠(深田公之、1937~2007)、作曲:都倉俊一(1948~))を、ヤクルトなら「いきものがかり」(吉岡聖恵(1984~)・水野良樹(1982~))の12ndシングル『気まぐれロマンティック』(2008、作詞・作曲:水野)を、西武なら『ダンシング・ヒーロー』以前の荻野目洋子(荻野目→辻野洋子、1968~)の『恋してカリビアン』(1985、作詞:松井五郎(1957~)、作曲:中崎英也(1959~)/秋山幸二(1962~)の西武現役時代の応援テーマだった)を、楽天なら宮城県民だったら誰もが知ってるCMソング『八木山ベニーランドの歌』(1968、歌唱:天地総子(中野→岩澤総子、1941~2019)、作詞:真崎冬彦(生没年不明)、作曲:越部信義(1933~2014))をチャンステーマの一つに使用し、またヤクルトは得点時と勝利時に『東京音頭』(1933、歌唱:藤本二三吉(藤本婦美、1897~1976)、作詞:西條八十(1892~1970)、作曲:中山晋平(1882~1952))、西武は勝利時に『(新調)炭坑節』(1948、歌唱:美ち奴(久保染子、1917~96)、原曲:福岡県民謡、補作詞:大高ひさを(大高久男、1916~90)、編曲:長津義司(1904~86)/元々ライオンズは1950年に九州福岡の地で「西鉄クリッパーズ」として産声をあげた球団である)、といった昭和の鶯芸者歌手が風土を歌った流行歌を奏でるところなんかは日本らしくていいな、何て思ってしまいます。
しかし「球界の盟主」を自称する某球団の攻撃時に打者が四球で出塁した際に同球団応援団が奏でる曲は違和感を覚えずにはいられません。
何故ならその曲が選抜高校野球大会歌である『今ありて』(1993、作詞:阿久悠、作曲:谷村新司(1948~2023))の冒頭部に類似した曲だからです。
サビの部分はちょっと変えているような気がするものの、プロ野球の応援に何で神聖なる高校野球の大会歌を使うのかわけがわかりません。
この球団はなりふり構わず補強するさまに対し「国境なき医師団」をもじって「節操なき球団」と揶揄されておりますが、応援団も節操がないんでしょうか。

日本人

田主丸

2025/03/31 (Mon) 11:02:17

昨日満開の櫻。 毎年の事ながらほんとに素晴らしい。
また図書館へ行った。 いろんな本、いろいろ学ばせてくれる。

昨日はこんなことに眼がとまった。
下記三名とも16世紀日本にキリスト教をもたらした方々である。

 「われらヨーロッパ人は賢明ではあるように見えるが、
  彼ら日本人と比較するとはなはだ野蛮であると思う。
  私は世界中で日本人ほどの天賦の才能をもつ国民は
  いないと思う。
  日本人は怒りを表すことを好まず、儀礼的な丁寧さを
  好む。 互いに人を褒め、相手を侮辱することを
  好まない。」
              オルガンティーノ
  
 「日本人は礼儀正しく下層民も上品、有能で、理解に
  すぐれ、語学もすぐに覚える。
  名誉と面目を重んじる。 忍耐強く苦しみや不幸に
  よく耐える。
  優雅で礼儀正しいこと、ヨーロッパ人を遥かに凌ぐ。」
              ヴァリニャーノ

そして、
 「日本人ほど、傲慢、貪欲、無節操、かつ欺瞞にみちた
  国民を世界に見たことがない。」
              日本布教長 カブラル

いろいろ考えさせられた。

ことば

田主丸

2025/03/25 (Tue) 20:43:18

今日図書館へ行った。

ある本を読んでいたら、次のような文があった。

「詩は音楽にならなかった言葉であり、
 音楽は言葉にならなかった詩である。」  ヘルマン・ヘッセ

なんとなくいい言葉だなあと書きとったのだけれど、あとランチを食べながら思い返していたら、その意味がだんだん解らなくなってしまった。

言葉は音楽である、とはよく聞く言葉である。 ある作家が言っていたけれど、綺麗に音読できる文章というのが名文なんだと。
和歌の世界でも、朗々と読み上げてその詩文の美しさを味わう。 お坊さんの唱名はまさに音楽そのものである。 イスラムの説法しかり。
特にフランス語や昔の北京語は、そしてデタラメ語の英語を含むどの言語でも、きちんと発声すればなんとも美しポエムに聞こえる。

ということで上記のヘッセの言葉は、韻文散文つまりは音楽的なのだと解釈してよいのだろうか。

それにしてもこの歳になってあらためて、本来は美しかるべき日本語を、私は決して美しくは表記、発声できてはいなかったとつくづく後悔するのである。


 

「花かげ」のこと

セザールフランク

2025/03/23 (Sun) 15:44:46

今日は今年になって初めての、温暖、無風、明るい陽射し。私の心も伸びやかに何となく嬉しい心に誘われて、久し振りに「花かげ」が聴きたくなりました。歌手は安田章子。
Jcomが無料でTVのモデムを交換してくれたのでTVでもyoutubeが見られるようになり色んな「花かげ」が聴かれますが、安田章子が一番好きです。

昔、友人の劇作家がこの「花かげ」を聴いて「役者が舞台で見得を切ってるような歌いぶりだ」と言いました。どういうことかイマイチ分かりませんでしたが、児童を意識した舐めるように歌う童謡ではなく、どこかに毅然とした歌唱であるように私も感じていました。子供だった彼女が真剣に歌ったからだとは思いますが。
残念なのは3番が児童合唱であることですが、今更言っても詮無いことです。

そんな事で私は安田章子、後の由紀さおりのファンでした。「甦る童謡歌手大全集」の彼女の「どこかで春が」「ねんねのお里」「どじょっこふなっこ」なども愛惜措く能わざる歌です。

そんなファン心理に水を差したのが例の故アベ氏主催の「桜を見る会」でのTVで何回も映し出された写真。故アベ氏の傍らで、いと嬉し気にいと愉しげに笑み崩れ笑み呆けている画像を見るに及んで100年(程ではないが)の恋もいっぺんに冷めてしまったのは我乍ら想定外のことでした。

話は遡りますが、1993年「駒場蔡」で加藤周一氏が「学徒出陣50年」のテーマで講演の後、渋谷の喫茶店で数人で氏を囲んで懇談しました。あらかたは忘れましたが「日本の民主主義もまだ根が浅くて何かあったら簡単に昔の体制に戻る危険性があるね」という言葉だけは覚えています。
アベ1強政治、忖度政治のころ頻りにこの言葉を思い出していました。彼の不幸には満腔の同情を禁じ得ませんが、こと「政治という一領域」に限れば果たして不幸な事件だったと言えるかどうか、私はつい考えてしまいます。

閑話休題(それはさておき)そんな経緯ゆえに彼女が彼の傍らにいたことが「許せない」と私は感じた、のだと思います。

それでも今日の、今年始まって以来の春の訪れを思わせる伸びやかな、長閑な空の色、風の肌触り、陽光に誘われてゆくりもなく聴いてみたくなった「花かげ」によって、乾涸びかかった老いの心にも柔らかな潤いが戻ったようです。やはり、由紀さんの歌を何時までも遠ざけておくことは出来ないようです。今日はそんなことを感じました。

りんごさま

konoha

2025/02/18 (Tue) 22:52:11

本当にお久しぶりですね。長らくコメントを寄せていられなかったのでどうなさっているかと思っていました。今回の寒波は大変ですね。きっと日常生活に様々な不都合が起きているのでしょうね。大雪の後の気温の変化にもさぞお困りのことも多々あることと思います。どうぞお気をつけてお過ごしください。

ハコベの花さまのコメントもとんとお目にかかりません。お元気にお過ごしなのでしょうか?何回か個人的にメールを差し上げても音沙汰がありません。りんごさまでしたら何かわかるのではとお便りしました。

Re: りんごさま

konoha

2025/02/27 (Thu) 21:23:15

返信ありがとうございます。昨年に続き今年の大雪も大変ですね。TVニュースで毎日見ています。

先日もハコベの花さまにメールをしたのですが・・・

私も寝つきが悪いため睡眠導入剤一錠の半分を毎晩服用しています。これに助けられています。それでも眠っても四、五時間で目が覚めてしまいます。ですから逆算して導入剤を飲んでいます。日によっては朝寝、もしくは昼寝、それができなかった時は夕方寝です。歳を取るっていうことはこういうことだなと思っています。

どうぞ、りんごさまもご自愛ください。
 

Re: konoha様

りんご

2025/02/27 (Thu) 20:07:32

雪の心配有難うございます。
ハコベの花様,ご心配ですね。
私もご無沙汰なので存じ上げないがいつも気にはかけてました。
20年来の慢性的不眠症で気力なく過ごしてます。
どうぞご自愛ください。

いのち

田主丸

2025/02/24 (Mon) 13:51:25

先日当老人ハウスに、大正15年生まれのご婦人が入居された。
大正15年、1926年生まれ、もうじき昭和になろうという時、数えで百歳である。
ご本人、手押し車を使用されているがしっかり歩行されており、耳目も健全、なんとも素晴らしいではないか。

これまでの最高齢者はたしか92歳か、それ以下私を含めみんな若造になってしまい、この方を敬意をもってなにごとの異常もなきように見守っている。

つくづく考えさせられた。 これまでいつ死んでもいいなどと思っていたけれど、死んでしまって、この身が酸素や、水素、炭素や窒素、カルシュウムになってしまって、存在が意識できなくなったらつまらない。 (もっとも、つまらないと感じるべき本体もなくなってしまうのだが)


生きていることの素晴らしさよ。 楽しい事、悲しい事、嬉しい事、辛い事、苦しい事、もっともっと実感していけることはほんとに幸せだと思う。
今の私は健康だ。 なんとか百歳まで生きなくっちゃ。

  「風立ちぬ、
   いざ、生きめやも」  (辰雄)